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ラノで読む 「月の軌道がずれ始めている?」 「えぇ、肉眼では判らない程度ですが」 ここは双葉学園天文学部が存在する大学棟のある一室。 そこで星見空輝(ほしみぞらひかる)が月の観察をさせていた教え子から、信じがたい観測結果を聞いたのは、時計の針が午後10時を回った頃の話だった。 「すまない、言っている事がよく解らないのだが……失礼だが、何かの観測間違いではないのかい?」 「私もそう思って何度も計算し直したのですが……」 困惑気味に観測データを差し出す女子生徒からデータを受け取った輝は、早速パソコンにそのデータを打ち込み始めた。 輝の横で少しおどおどしているその女子生徒は、頭も良く計算を間違うような事は今までなかった生徒だ。 まして、観測結果から月の軌道を正確に計算するなど、天文学部に入って3年目になる彼女にとってそれ程難しい事では無い。 輝は天体の軌道計算の練習問題として、解が既に求まっているこの課題を彼女に出したのだから。 その彼女が計算を誤ると言う事は考え辛いと思いつつも、輝は慎重にデータを打ち込んで行ったが…… 「……ずれている。近づいている」 「天体望遠鏡の故障でしょうか? でもちゃんとプログラム通り定点観測していた筈なんですけど……」 機器の異常でない事はわかっている。周囲の星々との相対位置から月の正確な位置を算出しているのだ。 観測映像に狂いは無く、望遠鏡が多少目標地点からずれた方向を向いていたとしても、問題なく計算できるはずなのだ。 だと言うのに計算すると、確かに月が既存の計算結果より近づいているとしか求まらない。 「原因はわからないが、きっと機器の故障だろう。この事はもう気にせず次の課題に行きなさい」 「は、はい。分りました」 この日、取り敢えず適当な理由をつけて生徒を帰らせた輝だったが、知人の天文学者に電話をすると他の天文台でも同様の計算結果が出始めており、混乱していると言う事が分った。 天文学会のホームページに行くと、既にプロ・アマ問わず掲示板はその話題で持ちきりとなっている。 「大変な事になるぞ、これは……」 本来、月は年3.8㎝と言う極僅かな距離ずつ遠ざかっている。それは月の公転による遠心力が地球と月の間に働く重力より勝っているからだ。 しかし今、現実に月は地球に近づいてきている。それは力学的にありえない事だった。 もしこの観測結果が本当だとすれば、今地球には未曾有の危機が起こっているのかもしれない。 いや、このまま地球に近づいて来たとすれば、地球上の重力分布や潮汐力の変化、月の重力によって引き起こされている様々な現象が大変な影響を受ける。 それこそ天変地異のような……。 「……ふぅ」 ここまで考えが及んで輝はふと溜息をついた。自分が考えても仕方の無い事だ。 この事は明日にも新聞やニュースになって大問題となるだろう。いや、逆に問題が大きすぎて公表されないかもしれない。 いずれにせよ人の口に戸板は立てられない。現在のインターネット社会では、この事が世界中に広まるのも時間の問題だ。 「ただの大学助教授でしかない私がどうこうできる問題でもない、か」 時刻は日をまたぎ、深夜1時になっていた。 明日は朝一の9時から天文学の講義がある。 天文学者の端くれとは言え、一講師に過ぎない輝は、この問題を何処かの誰かの手に委ねる事として帰路に着いた。 健康に悪いと思いつつ、空いた小腹を満たす為コンビニで菓子パンと紅茶を買って帰る。 流石に外を歩いている者もほとんど居ない深夜の道。 少しばかりの人寂しさを感じていた輝が、奇妙な人物に声を掛けられたのは、もうすぐ職員寮に着く僅か100m前の場所だった。 「先生」 「っ!?」 突然誰もいないはずの道で誰かに呼ばれた。 「先生」と言ったその声は、自分に掛けられたものなのか?輝はその場で立ち止まり警戒するように周囲を見回した。 しかしやはり辺りには誰もいない。姿の見えないその声に輝は一抹の不安を感じた。 輝は異能力を持っていない。護身用の武器も携帯していない。 声の主が何者であるのか分らないが、もし万が一ラルヴァなどであった場合、輝には生き残る術がないのだ。 「だ……誰かいるのですか?」 恐る恐る姿の見えない相手に声をかけてみる。 それで別に何がどうなると思ってした事ではなかったが、声を出す事は僅かながら恐怖心を押さえる事に貢献したようだ。 輝は少し冷静になって周囲を見渡しやすい道の真ん中に移動して待つ事にした。 「先生」 程なく、先程の声がもう一度帰ってきた。今度は心の準備をしていたお陰で冷静になって聞く事が出来た輝は、その声に奇妙な違和感を覚えた。 (この声は女性だろうか? 男性だろうか? 中性的な声だ……しかし美しい) その声と共に電柱の影から現われた人物は、羽織袴を着て髪をポニーテールに結った細身の人物だった。 顔はやはり中性的で、美しいが今一男とも女とも言い切れない。 体格も男と言えば男にも見えるし女と言っても通用するような細身で、胸も有るようにも無い様にも見えた。 「先生に助けて貰いたいんだ」 「助ける……あなたの事をですか?」 こんな時間に今時コスプレ紛いのこんな恰好で人を待ち伏せているなど、どう考えてもまともではない。 しかし目の前の相手には不思議な魅力があった。変人だと逃げてしまえない不思議な魅力が。 だから輝はこの時聞き返してしまった。それが後に自分をとんでもない事件に巻き込む事になるとも知らずに……。 「いえ、この人工島を」 「双葉学園を!?」 星見空輝は異能力者ではない。ただの双葉学園大学部で働く天文学部助教授だ。 多くの天文学者と同じように、理数系で理論的なのに夢見がちでロマンチスト。今年でもうすぐ三十路を迎えようと言うのに結婚もしていないしがない講師。 一人暮らしが長い為家事全般は出来るが、天文学とそれ以外これと言った特技も無い。 「ちょっと待ってくれ! 双葉学園を助けるとはどう言う事だ!? 何故何の能力も持たない私にそんな事を頼む?」 そんな男に何故双葉学園を救ってくれなどと頼むのか?この人物の本当の目的とは何なのか? 「君は一体何者なんだ!?」 輝は聞いた。目の前の美しい中性的な人物に。 答えが帰ってくるとは限らないと考えていたが、その答えは案外簡単に相手の口から紡がれる事となった。 「私は天津甕星(あまつみかぼし)。星を司る神だよ」 この学園島を賭けた星をめぐる事件が、今静かに幕を開いた。 【永遠の満月の方程式 -序-】 「それでは本日の最高気温です。本日は全国的に気温が上がり、3月上旬並みの温かな一日と――」 時刻は朝7時。 いつもより遅めの朝食を取りながら、輝はテレビで朝のニュースを観ていた。 バターをたっぷり塗ったハムトーストを頬張りながら、片手でリモコンを忙しなく操作する。 NHKから民法、地方局、様々なチャンネルを回しながら『月の接近』について報じられていないか探しているのだ。 そして、その机の真向かいで図々しく朝食を取る者がいた。 「いつまで私に付き纏うつもりですか?」 「先生が助けてくれると言うまでだよ」 昨夜輝が出会った神を名乗る中性的な人物『天津甕星』。 輝が断ってからも「助けてくれるまで頼み続けるよ」と言い勝手についてきてしまったのだ。 勿論、こんな得体の知れない人物を無用心に家に上げる輝ではない。 しっかり断って家に入れないよう鍵をかけて寝たはずなのだが、朝起きるとどこから侵入したのか机に座り、おりおはようより先に例の事を頼んできたのだった。 輝も流石に恐くなり、トイレで110番通報してみたのだが何故か一向に繋がらない。 不思議に思っていると、トイレの外から「今朝は事件が起こって電話が通じなくなると知っていたからね」との声が聞こえ、通報を断念したと言う訳だった。 「何度も言っているでしょう、私は何の力も無いただの一般市民なんです。そう言う事は異能力を持つ生徒にでも頼んで下さい」 「私の『星見』であなたが助けてくれると出たんだ。間違いなく先生が私の救い主だよ」 そして本日、何度目かの押し問答を終え仕事にも出なければならない輝は、取り敢えず今のところ害の無い天津甕星を放って置いて通勤の準備を始めた。 (それにしても……) テレビの選局をNHKに合わせ輝はリモコンを置いた。 (どのチャンネルでも月の接近について報じていない。やはり問題が大きすぎて報道規制が敷かれたのか?) やはりどの局にチャンネルを回しても月に関しては一切触れていない。 今朝起きて見た天文学会ホームページの掲示板からも、昨夜見た書き込みは消されていた。 不気味なほど早い対処だが、この事が公になれば世界は大混乱になるだろう。そして何より、そこから異能力やラルヴァの事が知られてしまえば一貫の終わりだ。 おそらく国による物であろうこの見事な対応も、事の大きさから鑑みれば当然と言った所なのだろう。 輝がそんな事を考えていると、向かいでパンを食べていた天津甕星が口を開いた。 「この事は2週間後、月の大きさが誰が見ても明らかに大きいと感じるようになるまで公表されないよ。その事も分ってる」 まただ、と輝は思った。 昨夜から天津甕星は未来の事が分っている様にものを言う。それは星を見て未来に起こる事を知っているからと言うのだが……。 「あなたは占い師か何かなのですか?」 占星術と言う物がある事は知っている。 しかし輝は、基本的に占いなどによる未来予知が出来るなどと非科学的だと思い信じていないし、第一これほどの精度を持って細かく知る事が出来るなど到底信じがたかった。 ただしこの世界には異能力やラルヴァと言った非科学的な存在が現に存在している。 輝は自分なりに、この目の前の神を自称する人物も何かのラルヴァか未来予知の異能力者か――そう思っていた。 「似たようなものだよ。ただし、私の星見は占いと言うより予知や予見に近いものだけどね」 やはりそう言う能力か、と輝は思った。そしてだからこそ譲れないものがある。 異能力と言う理不尽な力によって未来を知っているのなら諦めようもあるが、それが星を見て知る、さも技術か知恵のように言われてはどうにも納得できないのだ。 「私も職業柄毎日星と睨めっこしていますが、規則性を持って運行される星々の動きから未来が判るなんて、俄かには信じがたいですね」 「道具を使って観ては駄目だよ。雲などに隠れる星の見え方や明るさ、瞬き、全てから解るのだから」 「それはスゴイですね」 「信じていないね? しかし事実だよ」 そう言って話を切った天津甕星は最後の一口を頬張り、袖の中から何かを取り出した。 「何ですか? それは」 「先生のこの先30年分の未来を書いた紙だよ」 「なっ!?」 天津甕星が手に持ちヒラヒラさせているA3サイズの紙、それに輝の未来が30年分も書かれていると言うのだ。 そんな物を他人に渡されたら大変な事になりかねない。天津甕星はあろう事か、とうとう輝を脅迫すると言う手段に出たのだった。 「大丈夫、悪用する気は無いよ。ただ先生はこのまま行くと30歳になる今年、大変な災いに見舞われる事になる」 普通なら「そんな事嘘だ」と無視してしまえば良い所だが、天津甕星の力はもう充分知った輝だ。言う事を信じざるを得ない。 食べかけのパンを置いて「それをこちらに渡して下さい!」と言う輝に「フフッ、どうしようかな~」などと逃げ回る天津甕星。 未来を予知出来るからなのか単純に運動神経が良いだけなのか、輝は天津甕星を捕まえる事が出来ない。 朝の忙しい時にこんな事している場合じゃないのにと思いながらも、あの紙を放ってはおけない輝が躍起になって奪い取ろうとしていると、誤って足の小指をタンスの角にぶつけてしまった。 「いたぁっ!! いたたたたた……うぐぐ……」 ぶつけた小指を抱えて床を悶絶する輝を見下ろしながら、天津甕星は勝ち誇った顔でこう言った。 「その災いがいつ来るのか? どうすれば回避出来るのかもここに書かれている。助けてくれるなら渡してあげるけど……どうする?」 「きょ……協力するので教えて下さい……」 「フフッ、それが賢明だ」 こうして星見空輝は天津甕星に協力する事になったのだった。 いつもの学校への道、輝は普段一人で歩くこの道を、今日は二人で歩いていた。 輝の隣に並んで歩く天津甕星は相変わらずの羽織袴姿で目立つ事この上ない。 本当はこんな目立つ通勤嫌だった輝だが、天津甕星は勝手についてきてしまい、走って逃げようとしても何故か必ず先回りされてしまうので無駄な足掻きと諦めた。 それにしても、と輝は思う。明るい所で改めて見てみると、やはり天津甕星は美しい。 和風な出で立ちの人物に使う表現ではないが、まさにギリシャ彫刻のような性別を超えた美しさがあった。 「私の顔に何かついてるのかな?」 「い、いえ。少し考え事を……」 輝はつい天津甕星の顔に見入ってしまっていたようだ。その事を指摘され慌てて顔を逸らす。 平静を装ったつもりだったが、天津甕星は意味ありげに「フフッ」と笑って二人の間の距離を縮めてきた。 一瞬、驚き離れてしまいそうになった輝だったが、すぐに考え直し体をかわす事を止めた。 輝は昨夜から隣の人物の手の平で踊らされているような気がして、少しの悔しさと対抗心から敢えて距離を取らず気にしない風を装う事にしたのだ。 天津甕星は何も言わない。その沈黙に耐えられなくなった輝は、昨夜からずっと疑問に思っていた事を聞いて見る事にした。 「ところで、改めてお聞きしたのですが」 「何だい? 私に分かる事なら何でも答えるよ」 輝は相手の顔を見ないで声を掛ける。 声を掛けられた方の天津甕星が、隣で輝の顔を見上げてきた事は目端で分ったが向き直ったりしない。 真直ぐ前を見て歩く輝と、隣で彼を見て話す天津甕星。スーツと日本服の組み合わせは、ここ双葉学園でもかなり目立つ組み合わせだった。 「どうして異能力も持たない、一般人の私なんかに頼むのですか? どう考えても適材とは思えないのですが」 「フフッ、それはね――」 人差し指をピッと立てて得意気に話し始める天津甕星。案外可愛げのある神様だ。 しかしその事には突っ込まないで、輝は静かに天津甕星の説明を聞く事にした。 「ラルヴァの力も人間の異能力も、元を辿れば自然によって与えられた力だ。そして自然から未来を読む私の未来もまた自然によって定められた運命なんだ」 1999年7月――ノストラダムスの大予言の年、世界中で異能力者やラルヴァが急増した。 この時から世界は大きく変わってしまった。いや、表向きは何も変わっていない事になっているが、世界の裏側では激変を迎えたのだ。 丁度世紀末で世界中の人々がどこと無く落ち着かなくなっていたし、テレビは連日こぞって大予言に関する特番や、超能力や心霊現象、超常現象に関する特番を放送していた。 超能力、霊能力、心霊現象、超常現象、UFO、UMA。それらはブームのせいもあってか爆発的に増え、そして1999年の終わりと共に一気に収束していったのだ。 そう、少なくとも表向きは……。 「自然の定めた運命は自然から与えられた力では変えられない。よって神――君達の言い方をするなら私もラルヴァか。ラルヴァや異能力者では私の見た運命は覆せないんだよ」 異能力者では覆せない、と聞いて輝の頭にはクエスチョンが浮かんだ。 当時まだ『この業界』に入っていなかった輝は、当時の事を資料や口伝えに訊いただけで詳しくは知らない。 しかし1999年7月に発生したエンブリオは人間の手によって破壊されたと聞いた。それも異能力を持った者達も戦っての結果だ。 大予言にある恐怖の大王とエンブリオは直接は関係はなく、ラルヴァ大量発生の要因とは結びつかない一現象に過ぎないとの考え方が現在の通説だが、輝は昔流行った古い仮説の方を個人的に信じていた。 いや、正確には信じたいと思っていた。不謹慎ながらその方がロマンチックだと感じていたからだ。 だがエンブリオを破壊した後も、ラルヴァは変わらず世界各地に出現し続けている。輝が思うような古い仮説は現状と矛盾する。 もし天津甕星の言う事が正しいとすれば、人類の滅亡、世界の破滅と思われた1999年の出来事は、今も続いていると言う事になるはずだが――。 そこまで考えて輝は新しい、ある仮説に辿り着く。現段階では全く何の根拠も無い、仮説と言うにもおこがましい妄想の域を出ない話だが、その考えは一気に輝の頭の中に湧いてあふれ出した。 「ちょっと待って下さい! あなたの見た運命? それは一体……!?」 「……」 輝は天津甕星の言葉をじっと待つ。 その言葉のいかんによって、輝の中にある予感にも似た考えは確信へと変わってしまうかもしれないのだから。 天津甕星の見た未来、それは……。 「この人工島の崩壊……そしてそれにより東京湾の楔(くさび)を失った事で起こる天変地異と東京沈没。そして……」 輝は祈るように待った。 学園島の崩壊、東京沈没、それだけでも最悪の事態だがもし、もしも更に先があるとしたら、それこそは―― 「赤道上に位置する海抜10m以下の地域の沈没。地球の滅び」 「なっ……」 「人もラルヴァも、恐らくは誰一人生き残れない」 タイムスリップ、時間跳躍の思考実験を論ずる時、二つの仮説がある。 それは『親殺しのタイムパラドクス』等に代表される、時間を移動する事が出来た場合に起こる矛盾を説明する為の理論だ。 一つは平行世界(パラレルワールド)説。時間を渡り過去に移動した時点で、そこから別の歴史が枝分かれし、互いに平行世界となり不干渉な別の歴史が始めるとする理論。 もう一つは帳尻が合う様に出来ているとする説。過去に戻り誰かや何かを破壊しても、他の誰かや何かがその穴埋めをするように現われ、結局、元と同じ結果になるとする理論だ。 今回、天津甕星の言う「運命は覆せない」と言う言葉が正しかった場合、あの時、1999年に『人間が勝ってしまった』事の穴埋めが今も続いていると言う事になる。 理由も原因も不明なまま現われ続けるラルヴァ。何故人間を襲うのか。何故ラルヴァに対抗できる力を持った人間が生まれ続けるのか。 もし、その答えがそうであるならば。あの時起こるはずだった事とは、地球にとって人類とは――。 「1999年に起こらなかった事が……今、起ころうとしている」 午前中の講義も終わり、食堂で二人は食事を取っていた。 「しかし、その服装は何とかならないのですか?」 「何とかとはどう言う事だい?」 机に並んで講師と謎の羽織袴の人物が揃ってラーメンを啜(すす)っている様子は中々にシュールな光景だ。 周囲の生徒達や同僚からも好奇の視線が送られているが、誰一人話しかけてこようとはしない。 恐らく、輝の隣に座っている人物の恰好もあるが、男か女か分らない風貌も、声をかけづらい雰囲気に貢献しているのだろう。 「朝からずっと目立って視線が痛いです」 「ふむ……」 だと言うのに、当の本人は周囲の視線などどこ吹く風、何も気にせず振舞っていられるのだから凄い。 神と言うだけあって大物なのか、それともただ面の皮が厚いだけなのか。 「ならば先生が私に服を買ってくれるなら、着替える事も吝(やぶさ)かではないよ」 後者だったようだ。 輝は気持ちを切り換えて、午前中に考えていた事を隣の図々しい男女?に話す。 「先程、赤道上と言いましたが、白道(月の軌道)は黄道から約5.8度ほど傾いています。そして黄道(太陽の軌道)は赤道から約23.4度の傾きです」 地球の地軸が傾いている事は周知の事実だが、月の軌道が太陽の軌道とずれている事を知っている者は意外と少ない。 この傾きが日食や月食の起こる頻度とも関係しているのだが、それは今は関係の無い話なので割愛する。 つまり、月が接近してその重力の影響を受けやすい地域は決まっている事になるのだ。 「潮汐力の計算は専門外ですが、単純に位置関係から言って水没する地域は赤道上から約29度付近にある都市。つまり、北緯29度から南緯29度上にある都市が影響を受ける事になりますね」 そこまで輝が言って、天津甕星はほぅと感嘆の声を漏らした。 「やっぱり先生にお願いしたのは間違いじゃなかった」 上機嫌に箸をタクトのようにクルリと回し天津甕星は輝に言った。 天津甕星は占星術の心得はあっても天文学的知識はそれほどでもない。故に天文学に明るい輝の知識の一端を垣間見た事で、自分の余地は間違っていなかった事を再認識できたのだ。 しかし輝はそんな喜ぶ天津甕星に水を注すような一言を言う。 「いえ、月の距離によって結果は二通りあるのです。今のは良い方の結果ならそうなる、と言うだけの話です」 「良い方?」 そう、今輝が言ったのは良い方に転んだ場合の結果だった。 どちらにせよこのまま月が接近して重力の影響を受ければ、世界の都市は壊滅的打撃を被る事となる。そもそも月が接近し続け地球に落ちた場合など、それこそ人類滅亡だけでは済まされない。 しかしそこまでの自体は考えにくい事だった。 現在のバランス点から月を引いているだけでも人知を超えた力が作用していると言うのに、これ以上バランスの悪い位置に移動させる事は、例え神でも不可能だろう。 それより危惧すべきは別の問題だった。 「えぇ。月は近づいてくれば月の重力の影響も大きくなりますが、同時に公転周期も早まり遠心力も強まります。つまり月が接近している原因を除去できれば、月は再び現在の準安定軌道の距離まで戻ってくれるのです」 「ふむ……それまでにこの現象を引き起こしている原因を特定し、取り除けばよいと言う訳だね」 そうだ、それまでに原因を特定し解決すれば良い。速ければ早いほど被害は少なくて済む。 幸いまだ月の重力の影響は出ていないように見える。今の内に原因を特定しなければならないのだ。 (だがもし月がこのまま接近し続け地球の大気圏にまで近づいたとしたらどうなる? その時は最悪……) 万が一こんな事が出来る人物がいて、この現象が人為的現象であった場合、そしてその人物が物理学や天文学の知識を持っていた場合、最悪の事態になりかねない。 学問の発達における思考実験は時に、無意味とも思える知識を人に与える。「人間の力では不可能だが、もしそうなったら」そんな空想の世界の結果を見せてくれる。 本来ならその空想の世界は実現される事は無い筈だった。だが今は人外が闊歩し人は人を超えた力を身に付ける時代。 人の英知を悪用しようとする者が現われても何らおかしくないのだ。 「それでは先生。悪い方の場合も聞こうか」 「えぇ、そうですね。悪い方の場合、それは――」 「あ、せんせー!」 と、二人の後ろから能天気で大きな声がかけられる。 振り返ってみるとラーメンチャーハンセットをトレイに乗せた、ショートヘアーで雪焼けの肌が見るからに健康そうな一人の女子生徒が立っていた。 東雲ヶ原睦月(しののめがはらむつき)、輝と同じ天文学部に通う三年目の女子だ。 「おはよう、睦月くん」 皮肉混じりにおはようと言われながら「たはは、おはよーございまーす」と言って二人の向かいの席に座る。 この生徒も輝と同じ研究室に通うようになった一人だ。多少ルーズな所はあるが、明るくいつもニコニコしていて、少し子供っぽい所もあるが良い生徒だった。 真面目で付き合いの悪い輝とも、こうして歳の差も気にせず気さくに話しかけてくれる。 単に礼儀作法を知らないだけかもしれないが、不思議と憎めない人懐っこさと可愛さがあるこの生徒を、輝は密かに気に入っていた。 「今朝の講義、来ていませんでしたね。どうしたのですか?」 「てへへ……ごめんなさい、寝坊しちゃって」 「まったく、貴女と言う人は」 そう言いながら輝は今朝の講義で配った資料のプリントを鞄から出して睦月に渡す。 睦月は「えへへ、ありがとせんせ。そーゆー優しい所好きだよ」などと言って年上をからかっている。そして輝の方も怒りながらもどこか楽しそうに受け答えしている。 その二人のやり取りをジト~っとした目で見ているのが、すっかり蚊帳の外になってしまった天津甕星だった。 「せんせー、隣のその人は?」 その視線に気付いたのか、睦月はさっきから輝の隣に居る羽織袴の謎の人物に意識を向けた。 「あぁ、この人は――」 「天野甕(あまのみか)だよ。ミカで良い」 「ミカさんですね。私東雲ヶ原睦月って言います、宜しく」 二人はにこやかに握手すると再び机に座って天津甕星――甕(ミカ)は残った伸び伸びのラーメンを一気にかっ食らった。 「え? あの……」 甕が何故偽名など使ったのか?その理由を聞こうと思った輝だったが、逆に甕の方からその説明はなされる事となった。 甕は輝の耳をちょいと引っ張り寄せると、小声で睦月に聞こえないよう耳打ちした。 (神――ラルヴァだと分ると色々面倒だからね。遠縁の親戚と言う事にしておいてくれ) 輝の耳元に口を近づけ秘密の会話をしている光景を見てカチンと来た睦月。 今度は自分の番だとばかり机を乗り出して反対側の輝の耳元に自分の口を近づける。 (せんせー、この人誰ですか? もしかして先生の恋人ですか?) こちらも甕に聞こえないようボソボソと小声で話す。 輝の耳元から顔を離した睦月はチラリと甕の方を一目見ると、また席に座って猛然とラーメンとチャーハンを食らい出した。 そんな様子のおかしい二人におろおろしながら、輝は甕に言われた通り睦月に説明し始める。 何故自分がこんなにおろおろしなければいけないんだ?と言う疑問もあったが、精神的にそれどころでは無かったので疑問はすぐに消えた。 「こ、この人は私の遠縁の親戚で……えぇっと、異能力が発現したからこの学園に入る為に見学に来ているんだ」 取り敢えず問題なさそうな説明を睦月にする。 そうして説明している間にも二人はニコニコと向かい合っているのだが、表情とは裏腹に何か不安を掻き立てられる空気だ。 「異能力? へー、すっごいですねー! どんな力に目覚めたんですか? 私興味ある~」 「星占いの異能力だよ。まぁ……的中率はほぼ十割に近いかな」 「すごーーーい! それって恋愛とかも見られるんですか? 今度ぜひ見て下さーい」 「お安いご用だよ。何だったら今夜にでも見ておいてあげよう」 「フフフフフ」「アハハハハ」と仲良さ気に笑い合う二人だが、その間に流れる空気は何故か緊張の糸が張り詰めたように重い。 (な、なんだ? この空気は……二人とも笑ってるはずなのに空気が重い……) いつの間にか三人の周りには半径1m程の近づけないフィールドが形成されており、学食に集まる学生達も触らぬ神に祟り無しとばかりに見もしない。 星見空輝29歳。未だ女心の読めない彼女居ない暦=年齢の独身であった。 【永遠の満月の方程式 -序- 後篇】に続く トップに戻る 作品保管庫に戻る
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そのとき、血塗れ仔猫の邪悪な笑顔が何者かの拳によってひしゃげた。 みきと雅はとても驚いて、黒い悪魔が殴られて吹っ飛んでいくのを見ていた。 憎き宿敵を殴り倒した異能者――関川泰利は、唾をグラウンドに吐き出してからこう言った。 「もう好き勝手やらせねえぞ・・・・・・。いつまでもくたばっていると思うなよ、この悪魔が!」 そしてその背後から顔を出したのは、三人の少年たちだ。 「おー、動ける動ける。なかなか気分がいいなあ、自由になるのって!」 「ずっとあいつの言いなりになっていたからね。まったく、死んだなら死んだで、とっととゆっくり眠りにつきたかったのになあ?」 「僕なんて何度も頭ちぎられたりお腹かき回されたり散々だったよ。こんな僕でも、あいつだけはどうしても許せないよ・・・・・・」 小山真太郎、・野口道彦、久本昭二は口々にそう言った。好き勝手に動き出した「人形」たちを目の当たりにした血濡れ仔猫は、声を震わせながら彼らにこうきいた。 「ど、どうして・・・・・・? どうして私の束縛しているあなたたちは、勝手に動くことができるの? ここは私が支配しているアツィルト・ワールドだよ? 私の精神世界だよ? あなたたちが自分の意志で行動することはできないはずなのに・・・・・・?」 「誰の世界ですって? 勘違いも甚だしいんじゃないの、血塗れ仔猫さん?」 はっとして血塗れ仔猫は後ろを振り向く。短剣を握った大島亜由美が、彼女のことを見下ろしていたのだ。血塗れ仔猫は慌てて鞭を握ろうとしたが、その顔面を亜由美は容赦なく、前方に蹴り飛ばしてしまう。 吹き飛んでいく彼女の体をしっかり捉え、亜由美は短剣に力を込める。きらきらと白い輝きを帯びたナイフを、亜由美はぴゅんと横になぎ払った。 真っ直ぐ放たれたカッターが血塗れ仔猫に炸裂し、禍々しい悲鳴が上がる。病的なドレスがずたずたに裂けて、黒い布がカラスの羽のようにこぼれていった。 戦いから取り残されて唖然としている雅のもとに、美しい少女が歩み寄る。落合瑠子は「大丈夫?」と怪我をしている雅を気遣ってくれた。 「君たちは、この夏の事件の被害者かい・・・・・・?」と、雅が彼らにきいた。 「ああ、そうだ」と、泰利が答える。「俺たちはあの血濡れ仔猫によって殺された亡霊だ。あいつは俺たちが死んでもこの世界に魂を拘束し、何度も粉々にしたり切り裂いたり好き勝手やってきたんだ。まったく、悪趣味にもほどがあるぜ!」 「ほんと、血塗れ仔猫は憎くて憎くてたまらない。久本くんたちを残虐に殺して、私の妹も無残に手にかけて。これだからラルヴァは悪だと私は思う!」 亜由美はみきが少しうつむいたのを見ると、彼女に向かってにかっと微笑み、こう明るく言ってみせた。 「私が大嫌いなのは血塗れ仔猫。立浪みきさんは何も関係ないじゃない! あなただって、あの悪趣味な黒いクソ猫の被害者だよ!」 彼女に同意して泰利も瑠子も真太郎も道彦も昭二も、みきに向かって微笑んだり、ピースサインを向けたりしている。 「うう・・・・・・みんな・・・・・・みんなあ・・・・・・!」 みきは泣いた。みきはずっと、不条理に奪われることになった七人の命のことを、申し訳なく思っていた。きっと自分は彼らの強い恨みを背負って、破滅のときを迎えるのだろうとさえ思っていた。 でも、そのような悩み事も杞憂に終わったのだ。彼らはきちんとわかっていた。この悲劇の黒幕は立浪みきではなく、「血塗れ仔猫」だということを! 「そうかあ。立浪みきが生きる意志を取り戻しかけているのが、このアツィルト・ワールドに変調を及ぼしているのねえ・・・・・・? 私の掌握していたこの世界がみきに奪われようとしているから、あなたたちは動けるようになった・・・・・・」 「馬鹿言うんじゃねえよ。ここはもともと、てめえの世界じゃねえだろ」と、泰利。 「あんたの拷問はかなーり痛かったよ・・・・・・? そして、よくも散々ここで美玖を辱めてくれたね・・・・・・?」と、亜由美。 二人の亡き異能者は同時に地面を蹴った。「お、おのれえ、人間めええええええ!」という血塗れ仔猫の咆哮が、彼らを迎えうつ。 そして、みきのもとに一人の少女が近づいてくる。それはみくにとてもそっくりな少女、美玖であった。 「倒してぇ!」 と、グラウンドに落ちていた緑の短剣をみきに差し出した。 「血濡れ仔猫をやっつけて! あいつのせいでみんなみんな死んじゃった! 私も殺された! お母さんもお父さんも死ぬほど悲しんだ! お願い、みきお姉ちゃん! みきお姉ちゃんがあいつをやっつけて! 私たちの仇をとってえ!」 みきは姉猫のグラディウスを受け取った。そうだ、自分には自分の帰りを待っている、可愛い妹がいる。早くこの戦いを終わらせて、みくのもとへと帰らなくてはならないのだ。みきは短剣をしっかり握ると、泰利と亜由美に攻め込まれて苦戦している、血濡れ仔猫のほうを向いた。 「私が人間に負けるわけがない! 私は血塗れ仔猫、双葉島の住民を恐怖のどん底に陥れる悪魔なんだ! 鞭で人間を叩いておしおきする死神なんだ! そんな私がこんな亡霊ごときに、こんな雑魚ごときに――」 頭に血が上ると目の前のものしか見えなくなり、冷静さを失うのは猫の血筋の大きな欠点である。血塗れ仔猫はほとんど気づけなかった。彼女の背後でもう一人の自分自身が、姉の短剣を握り締めて飛び掛ってきたことを。 「姉さん! どうか私に、私に力を貸してくださぁい!」 「しまっ――」 隙を突かれた血塗れ仔猫は、ばっと後ろを振り向くが―― みかのグラディウスが、振り向いた血塗れ仔猫の胸に深く刺さった――! 恐ろしい断末魔の叫び声が青空に高く響き渡る。血塗れ仔猫はおびただしい吐血を起こしながら、自分の胸に深々と貫かれた短剣を見た。 「そんな・・・・・・私が死ぬ・・・・・・? 血濡れ仔猫が敗れる・・・・・・? 嘘だ、悪夢は終わらない! こんな、こんな攻撃でくたばるような私じゃないのにぃ・・・・・・!」 地面に崩れ落ちた血塗れ仔猫は、ぜえぜえ辛そうに息をしながらも抵抗を表明した。 しかし。 『いいや、もうおしまいだよ。いい加減、諦めてみきの心から離れていきな』 その声を聞いたとき、大きく開かれたみきの両目から熱い涙がぶわっと沸いて、零れ落ちていった。血塗れ仔猫はあまりのショックに、首をぶんぶん振りながら声のしたほうを捜した。 「バカな・・・・・・! ありえない! そんなことはありえない! どうして、どうしてそんなことがあああっ・・・・・・!」 そのとき、血塗れ仔猫の胸に突き刺さっている緑のグラディウスが、まばゆい発光を見せた。 「何だぁっ・・・・・・?」 突然のことに血塗れ仔猫は目を背け、みきは本当に嬉しそうにして泣きながら、とある人物の帰還を喜んでいる。 『ふふふふ、あたしもね、ものすごい奇跡だと思ってる・・・・・・。みきを安らかな眠りに付かせようとしたあのとき、ありったけの魂源力をこの剣に込めたのが幸いしたんだ。これは偶然であり、まさに奇跡といっていい・・・・・・!』 グラディウスが血塗れ仔猫の体から離れると、げほっと彼女はひと塊の血を吐いた。宙に浮いた短剣はさらに発光を強め、ドンとはじけ飛ぶ。 ・・・・・・白い猫耳。白い尻尾。長い髪の毛は、背中の辺りで一つにまとめ、ぶらさげている。双葉学園の制服を着込んだ彼女はお気に入りのグラディウを左手に握り、恐れおののいている血塗れ仔猫の目の前に立っていた。 「ふざけるなあ・・・・・・! こんなこと、あってたまるか・・・・・・! あなたが、死んだあなたがこの場に干渉することなんて、絶対にありえないことなのにぃ・・・・・・!」 みきは涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、その人物のことをこう呼んだ。 「お姉ちゃん・・・・・・!」 「ただいま、みき。一人でよく戦った。私がいなくても、お前はもう大丈夫みたいだね」 立浪三姉妹の長女・みかは、微笑みを向けながらそう言ったのであった。 「あれが、みくのもう一人のお姉さん・・・・・・」と、雅が言う。彼もまた自然と笑顔になって、この大逆転にぶるぶる震えていた。 みかはきっと血塗れ仔猫を睨んだ。黒の異形は肩を一瞬震わせたあと、悔しそうに歯を食いしばって黒い鞭を手繰り寄せる。 「てめーが血塗れ仔猫か。よくもみきを乗っ取って好き勝手やってくれたな。あたしゃ、三年前に戦ったときからずっと、みきの心の中にでも潜りこんでてめーをシバきあげたいと思ってきたもんだ。覚悟しやがれ」 姉猫の両目が緑に輝いた。それに呼応して、グラディウスも鮮やかな緑色に燃えあがる。 「く、くっそおおおおおお! 調子に乗らないでえ! 三年前、私に苦戦したあなたに私を倒せるはずが無いいいい!」 血塗れ仔猫は鞭を縦に振り、みかの頭部を吹き飛ばそうとする。だが、みかは表情をまったく変えることなく、左手をぴゅんとしならせた。短剣によって斬られた鞭の先が、彼女の横を通過していった。 「あたしはみきの『お姉ちゃん』だ。いつ、どんなときでも、みきのことを守ってやるんだ。たとえ死んでしまって、ユーレイになってもね・・・・・・!」 みかは血塗れ仔猫に飛びかかった。心臓に穴が開いた血濡れ仔猫は、もはやまともに勝負をすることができない。 みかの瞳がぎゅっと絞られ、猫の鳴き声をこの世界に轟かせる。グラディウスで縦に、横に、斜めに何度も執拗に斬りつけ、一瞬のうちに何百回も憎き相手を切り刻んだ。 瞳の輝きを失って、ふらっと後ろに倒れていく血塗れ仔猫。みかは後ろにいるみきに向かってこう叫んだ。 「今だ、みき! お前が止めを刺せ! 自分でこの悪夢を終わらせるんだ!」 「ハイ、姉さん!」 みきがコバルトの鞭を青に輝かせる。右手から注ぎ込まれた魂源力は手元から先のほうまでぐんぐん伝わり、鞭の全体が青白い発光を見せる。それをしなやかに振りぬいて、血塗れ仔猫の顔面目掛けてぶっ飛ばす。 最後、みきはオッドアイを強く光らせてこう怒鳴った。 「私は『ラルヴァ』なんかじゃない! 猫の力で戦う『異能者』です!」 ――決着の瞬間を、この場にいる人間たちは固唾を呑んで見守っていた。 みきの攻撃は敵の顔面に見事直撃し、血塗れ仔猫は頭部を喪失してしまう。敗北した彼女が膝を付いた瞬間、全身にひびが入って体がぼろぼろと崩れ落ちていった。 その瞬間、真太郎と道彦が歓声を上げる。亜由美が昭二に抱きつく。 泰利と瑠子は二人並んで、笑顔を向けている。 美玖が青空に向かって、「やったぁー!」と嬉しそうに飛び上がった。 「終わった。さすがに疲れたぞ」と、雅も笑いながらあぐらをかいて座っていた。 みかも感慨深そうに妹のことを見つめていた。黒い己に打ち勝ち、試練を乗り越えてみせた泣き虫な妹の背中を、姉猫はしんみりとした表情で見守っている。 崩れ落ちた灰色の亡骸を複雑な心境で見つめながら、みきは猫耳をひっこめた。 「さようなら、もう一人の私・・・・・・」 そう、みきは鞭を消去しながら呟いたのであった。 こうしてみきの心の中に巣食っていた恐怖の異形・血濡れ仔猫は、立浪みき本人によって倒され、敗れ、その存在を消失させたのであった。 アツィルト・ワールドに光が差す。戦いで高ぶった気持ちや火照った体を癒すように、冷たい風が流れていった。それはみきにとってとても懐かしい、爽やかな潮の匂いを運んできてくれた。 「私たちの仇をとってくれてどうもありがとう」 と、大島亜由美が言う。みきは彼女にしっかり向き合うと、申し訳なさそうにしてこう言った。 「あなたたちは何も関係ない生徒だったのに・・・・・・。私のせいでこんな目に合わせてしまって、本当にごめんなさい」 「何言ってるの!」と、美玖が笑った。「私たちの敵はあの血濡れ仔猫じゃないの! みきお姉ちゃんは何も悪くないよ! みきお姉ちゃんがあいつを倒してくれて、私たちもようやくゆっくり休むことが出来そうで、とっても嬉しいんだから!」 ありがとう、とみきは涙ぐみながら言う。そんな三人のところに、こそこそと別の三人組が近づいてきた。 「そーれ!」と真太郎と道彦は昭二の背中を乱暴に蹴っ飛ばし、亜由美のもとへ無理やり寄せてしまう。顔を真っ赤にしてしどろもどろになっている昭二のことを、亜由美も照れくさそうにして見つめていた。 「血塗れ仔猫もいなくなったことだし、これで私たちもあいつの束縛から解放されることになる。そろそろ永い眠りに着こうと思います。短い生涯でしたが、私は何の悔いもありません」 亜由美がそう言うと、彼女の体がすっと透き通っていった。それに合わせるようにして、美玖も昭二もその存在を薄めていく。 最後に美玖が、「ばいばい! 私の分も頑張って『生きてね』。みきお姉ちゃん!」と、本当にみくにそっくりな笑顔を向けながら消えていった。 それに対してみきは、「うん。生きる。もう二度と、死にたいなんて言わないよ」と呟いてあげたのであった。 「あーあ。結局、昭二に亜由美を取られちゃったってことかあ」 と、真太郎がそっぽを向いてそう言った。道彦がぷっと吹き出して、「ま、そういうわけだ。女々しく悔しがってないで、俺たちも早いこと休もうぜ」と言う。 真太郎が「悔しくなんかないやい」と涙ぐみながら強がったとき、二人もこの世界から去っていった。 そして最後に泰利と瑠子が二人並んで、みきとみかと雅のほうを向いてこう言った。 「俺だって血塗れ仔猫と戦って死んだことに、何の後悔もしていません。何か大切なものをかけて、自分の力を使って戦うことが、異能者としての誇りだと俺は思うから。・・・・・・みきさんも、その手で守っていきたいものや、人がいるんですよね?」 「・・・・・・はい」と、みきは微笑みながら言った。 「何も死ななくてもいいのに」と、瑠子が澄ました笑顔で言う。「直球。正直。一途。この人の良いところであり、困っちゃうところね。まあ、この人のおかげで私は幸せな一生を送ることができたのかな? ふふ」 泰利は何も言葉を発することができず顔を真っ赤にして、下を向いて黙り込んでしまった。姉妹も雅も、楽しそうな笑い声を上げた。 「・・・・・・じゃあ、そろそろ行こうか、瑠子」 「はい」と、瑠子はにっこり笑う。 「それでは俺たちも一緒に旅立つこととします。俺たちの分も、学園生活楽しんでください。みきさんも、異能者として色々な可能性があるんだということを忘れないでおいてください」 瑠子の手をとった泰利は、地面を強く蹴って飛び上がった。二人は青空を背景にして高く高く飛んでいく。彼の能力は『跳躍』だった。瑠子はそんな彼の手をしっかり握っている。雅は二人の背中に翼が生えているような幻を見た。 瑠子はみきの方を向いてにこっと笑った。みきもその幸せそうな瞳の輝きを見つめ、右手を振ってあげた。 血濡れ仔猫によって殺された七人の魂は、こうして天国へと旅立っていったのである。 「姉さん・・・・・・」 みきは姉に向き合うと、とても寂しそうにこうきいた。 「・・・・・・やっぱり姉さんも、行ってしまわれるのですか?」 そうきかれたみかはばつが悪そうに頬をかくと、こんなことを言ったのだ。 「・・・・・・なんか、そういうわけにもいかねーんだよ。あたし、もしかしたら死んでないのかもしれない」 「ええっ?」と、これにはみきも雅も仰天する。 「あたしの死体が海中から引き上げられたって話なんだよね? でも、それならそれでとっとと成仏しちゃいたいとこだったんだけど、どうしてか不可能なんだ」 「じゃあ・・・・・・みかさんの体がどこかに・・・・・・?」 「だとは思うんだけどなあ」と、みかは困った顔をして言う。「ここにいるあたしは、あたしが三年前、この短剣に込めた魂源力そのものだよ。注ぎ込める限りのすべての魂源力を注ぎ込んだ瞬間、突然誰かに撃たれたんだよね? その結果、身体と魂源力が分離してしまったわけだ。んで、身体はどこに行ったかわからない。一方、あたしの魂源力はこうして宙ぶらりん。とまあ、こういうわけなんだ」 こういった世界であたしは具現できるようだね、とみかは付け加える。雅は異能の奥深さに、ただただ舌を巻くばかりであった。 そんな雅のところにいつの間に、みかが目の前まで近づいてきていた。彼は驚いて、「な、何ですか」と言う。 「その腕輪・・・・・・。んっふっふ、みくのやつ、マサを『ご主人様』にしたわけだねえ」 雅の腕には茶色い腕輪がかかっている。みくと交わした「主従の契約」のしるしだ。 「まさかあたしも、それが『解決の手段』だとは思ってもみなかった。それはあたしたち猫の血筋に代々伝わるものだ。悪趣味なおまじないかとさえ見ていたほどだったのに、そんな意味合いがあったなんてねえ・・・・・・。 よく、みくは気がついたよ。まあ、誰か恋人を見つけようなんて、当時のあたしたちは考えようともしなかったけどさあ」 目をぱちくりさせて、雅はぽかんとしていた。解決の手段? この恥かしい契約が、解決の手段? 何の? と、ここでみかが顔を赤らめながら、ぽーっと上目遣いで自分のことを見つめているのに気がついた。雅が「え? どうかしましたか、お姉さん」ときいたとき。 「あたしの好みだ。惚れた」 「ええ!」 次の瞬間には、雅は姉猫に押し倒されていた。彼女の長い前髪が顔にかかる。極限まで近づいた緑の瞳は、しっとりと湿っていた。いったい何が始まるのか。自分は何をされようとしているのか。 「往生際が悪くてねえ。あたしはこうしてユーレイになってもなお、好きな人は逃がさないわけさ。とりついてやる」 「はあ? ちょっと、お姉さん。何を」 唇を強引に重ねられた。雅がもごもご抵抗していると、腕を後ろに回されて、ぎゅっときつく抱きしめられてしまう。 ところがその瞬間。みかの体が淡く発光したと思ったら、ぱちんと弾けてしまう。 丸い緑の球体が、仰向けのままの雅の上に浮遊していた。球体となったみかはそのまま降りてくると、すっと雅の胸の中に浸透していった。すると雅の疲労が完全に回復し、折れていた右肘が繋がっている。前よりも力が湧いてくるような気分がしていた。 「・・・・・・と、冗談はここまでにしといて、おめでとう、遠藤雅!」 どこからか、みかの声が聞こえてきた。 「これまでいくつもの戦いを勝ち抜いてきたごほうびだ。マサは夏休み中も、ずっと頑張ってたらしいからね、あたしの魂源力を貸してあげるよ!」 「なるほど、異能者の成長システムですね」と、みきが補足してくれた。 「これで、一回の戦闘に使える治癒の回数が『三回』になったね。あとは治癒を使ったときに、あたしのちょっとした特性が反映されるかな? なあに、オマケ程度の要素だよ。 じゃあ、マサ。後のことは頼んだよ? みきをよろしくね。みくを泣かしたら承知しないぞ! あたしは復活できるまでのあいだ、マサの精神世界でのんびり暮らしてるから、夢の中で会ったときとかあたしとイチャイチャしておくれ!」 立浪みかはそれだけ言うと、みきのアツィルト・ワールドから、その存在を完全に消失させた。 「姉さんは人懐っこいところがあるんです。まあ、半分冗談程度に受け取っておいてあげてください・・・・・」 と、みきが恥ずかしそうにそう教えてくれた。雅は「あ、そうですか、わかりました」と困惑しながら言った。 「・・・・・・じゃあ、そろそろ帰ろうか。みくのところへ」 「はい」 みきが目覚めることを望んだ瞬間、アツィルト・ワールドはうっすらと白く包まれる。 夢から覚める。不思議な夢から覚める。それは七人の命を惨たらしく奪った悪夢であり、黒の自分に打ち勝って七人の命を解放した痛快な夢でもある。 戦士たちは夢から覚めて、現実へと帰っていく――。 一面に広がる青空と、潮風の吹きつける東京湾。 展望台に戻ってきた雅は日差しの眩しさに目をしかめた。すぐさまはっとして、辺りを見渡す。 「はあ・・・・・・はあ・・・・・・」 みくがわき腹を押さえたままぐったり倒れていて、彼はびっくりする。みくは血塗れ仔猫の戦闘で負傷していたのだった。 「うわあああ、みく! しっかりしろ! もう大丈夫だからな!」 雅は早速、治癒魔法をかけてあげた。胸のうちに大きく膨らむ魂源力を、右腕を通じて手のひらから分け与える。患部にかざされた治癒の発光は緑色をしており、雅は少し驚いた。 「・・・・・・ぐぐ・・・・・・ぷはあ。重傷者の放置プレイとか、なかなかカゲキなことしてくれるわね、ご主人様ぁ・・・・・・?」 じとっとした目で睨んでいるみくに、雅はへこへこと平謝りをした。 「ゴメン。本当にゴメン。正直悪かった」 「あれ・・・・・・? あんた、瞳が緑色に光ってるわよ?」 え? と雅はぱちぱちまばたきをする。「ふふふ。まるでみかお姉ちゃんそっくり」とみくが言ったとき、彼はなるほどなと納得したのである。みかの魂源力がこうした形で反映されているのだ。 完全に回復したみくは立ち上がると、服に付いた砂をぽんぽんと叩いて払った。それから首をゆっくり左右に振って、心配そうにこうきいた。 「みきお姉ちゃんは、どうなったの? まさかまたいなくなっちゃったとか、そんなことないよね?」 「・・・・・・安心して。ほら、もうすぐそこまで来てるよ」 そして、みくは見た。目の前に白く光る球体が現れ、雛のかえる卵のようにひびわれて光が漏れ出し、ぱっと弾けたのを。 みくは笑った。笑いながら、金色の瞳を涙でいっぱいにした。 光の中から降りてきたのは、黒いドレスを着た少女だった。血塗れ仔猫と違うのは、穏やかな微笑をたたえつつ両目を瞑っていた点である。 「お姉ちゃん・・・・・・!」 みくがそう呼ぶと両目が開かれ、美麗なオッドアイが彼女を向いた。 「ただいま・・・・・・みくちゃ!」 「お姉ちゃあああん! んもう、バカああああああ!」 みくは三年前に一人ぼっちになってから、ずっと一人で戦ってきた。その道のりは決して平坦なものではなかったし、死にかけたことも何度もあった。与田から自分たちの秘密を明かされてから自分を見失い、大好きな相方と離れて旅に出たこともあった。 彼女は気丈でとても気の強い性格をしている。もともとそういう性格であったことは言うまでもないが、複雑な事情はいっそうみくをきつい性格に作り上げていった。彼女は姉がいなくても、しっかり独りで生きていかなくてはならなかった。 そのような苦労の時代も、最高の形で帰結する。みくはみきに抱きついた。三年ぶりの温もりに抱かれてひたすら泣いていた。甘える対象が帰ってきて、ようやく出すことのできた歳相応な子供の姿を、雅も温かく見守っている。 「いったいどこ行ってたのよお・・・・・・。ずっと、最後の朝食のこと、忘れられなかった・・・・・・。ばか、お姉ちゃんなんてきらい。だいきらい」 「ごめんね、みくちゃ・・・・・・。もうこれからはずっと一緒だよ。どこにも行ったりはしないよ。私と一緒にまた暮らしていこうね・・・・・・!」 午後の日差しに反射して、ゆらゆらと白い明かりが真っ直ぐ海に伸びている。それはまるで、これまで二人が歩んできた長い道のりを暗示しているかのようだ。そんな光景を背景にして、姉妹は強く強く抱き合っている。 こうして立浪みきは、三年のときを経て2019年、ついに復活を遂げたのであった。 「ところで・・・・・・」と、みきはおもむろに雅のほうを向いた。 「何でしょうか?」 「マサさんはうちのみくちゃとどういう関係なのでしょうか?」 どきっとして、雅は冷や汗をかく。「ただの友達です」と答えれば恐らくパンチが飛んでくる。「相方です」と言えば機嫌損ねる程度で丸く収まるかもしれない。何よりも大学生が小学生の子を指差して「恋人です」などといえるはずがない。 「マサはね、今年の春から一緒に行動している相方なの。まだこの島に来て少ししか経ってないっていうから、私が世話を焼いてあげているわけ。そうよね、マサ?」 案外大人なみくの対応に、あれこれ思案していた雅は拍子抜けしてしまった。ワンテンポ遅れてみきにこう答える。 「え、はい、そうです。改めまして、遠藤雅と申します。あの世界では色々と生意気言ってすみませんでした」 「嘘です。その腕輪と首輪が何よりの証拠です。本当はどういう関係なのか、お姉さんに教えなさい。今後そういうお付き合いをする際は、きちんとお姉さんを通してもらわないと困ります。わかりましたね、マサさん?」 と、彼女は頬を膨らませてそっぽを向いてしまう。雅はどうしていいかわからず、たじたじになってしまった。 「お姉ちゃん、これからお姉ちゃんはどうしていくの?」 「私? えっとね」と、みきは頬に人差し指を当てた。「学園に帰りたい。私はどうやら成長が止まってて、今も十六歳のままみたいなの。だから、編入するとしたら高校一年生なのかなあ?」 「もう、お姉ちゃんのことを悪く言う奴はいないのかなあ・・・・・・」 と、みくが心配そうにしてぽつりと言った。 三年前、立浪みかとみきは「祖先にラルヴァの存在を確認した」という理由で『ラルヴァ』だというレイベリングを一部の学園生徒にされてしまった。一部の陰謀が働いていたとはいえ、自分の存在を否定された双葉学園にみきは復帰することができるのだろうか。 「大丈夫だよ。私は『ラルヴァ』じゃないよ。猫の力を使って戦う『異能者』なんだから」 と、みきは元気に言ってみせた。それを見た妹は嬉しそうに微笑んだあと、続いてこんなことを思い出す。 「あー、そういえば。七夕の夜に偶然会った人がいるの。ええとね、ぱっと見は私とほとんど変わらない女の子みたいなんだけど、学園の教師ですって言ってたなあ。私とお姉ちゃんのことを知っててびっくりしたんだけど、あれお姉ちゃんの知り合いなの?」 雅が与田に捕らわれて、救出に向かった七夕の夜。みくはとある人物と出会っていた。 春奈・C・クラウディウス。みくの話を聞いただけで、みきはその人が誰であるのかすぐにわかった。春奈は双葉学園高等部・1Bの担任であり、三年前のみきの担任でもあった。 「春奈せんせー・・・・・・」 彼女はしきりに自分のことを気にかけてくれた。与田光一の執拗な研究に付き合っていた頃、日に日にやつれて弱っていく自分のことをとても心配してくれていた。あの人のことだから、たとえ私が血塗れた悪魔になっても、こんな自分のことを気にしてくれていたに違いない。そう思うと、みきはぐすんと涙ぐんだ。 「早く、せんせーさんに会いたい」と、みきは言う。「早く春奈せんせーのところに戻って、元気な顔を見せてあげたい。目を背けたくなるような宿命も悪夢も、全部終わった。みんな私は終わらせた。私はできることなら、今の春奈せんせーのクラスに帰りたいと思っている。それが、一番いいよね・・・・・・?」 「そうだね、きっとその思いは叶うと思う」と、雅も同意してあげる。 とんぼのつがいが展望台を飛び回り、三人の目の前をくるくる舞った。暑い夏が終わり、双葉学園はこれから涼しくて静かな秋を迎えようとしている。 こうして、真夏の悪夢は幕を閉じたのであった。 ここから先の物語を受け入れるかどうかは、読者にお任せいたします 「これで全て終わったんだよね、マサ」と、みくがきいた。 「うん。みくも僕も色々あったけど、丸く収まって何よりだよ。もう少し、夏休みは一緒に遊びたかったね。土日とか二人で遊びに行こうか?」 「何バカなこと言ってんの! お姉ちゃんも加えてあげなくちゃ可哀相でしょうが、このバカ!」 ぴょんと飛んで、雅の頭にげんこつをお見舞いさせる。雅が「痛いなあ! 何も殴ることないじゃないかあ!」と、ふざけて怒鳴ろうとしたときだ。 「きゃっ・・・・・・!」 みきの悲鳴が聞こえて、二人ははっとして後ろを振り返る。 二人はみきが何者かによって頭を捕まれて、宙にぶら下げられているのを見た。 潮風にたなびく赤いマフラー。双葉学園の制服。 雅は驚愕して震えだす。 馬鹿な・・・・・・。 どうして・・・・・・。 どうしてこの男が・・・・・・何より「彼ら」がここにいる? それはつまり、何を意味するのかというと・・・・・・? 「・・・・・・茶番は終わりだ、『血塗れ仔猫』」 醒徒会庶務・早瀬速人は、冷徹な視線をみきに突き刺しながらそう言った――。 次回、第二部最終回。 この六話で切っても、シェアードワールド的には差し支えありません 要は最終話の展開を受け入れられるかどうかだと思います トップに戻る 作品保管庫に戻る
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※この話は夢オチです※ らの ある日のこと、おれは醒徒会の呼び出しを受けた。 醒徒会じきじきに呼び出しなんて初めてのことで、自分が何か悪いことでもしたんじゃないかとビクビクした気持ちで醒徒会室の扉を開けると、ちっちゃな醒徒会長がおれを出迎えた。 「お主を醒徒会専属特殊任務係に任命するのだ!」 ぴょこんぴょこんと椅子の上で跳ねながら醒徒会長の藤御門《ふじみかど》はとんでもないことを言いだした。おれは「はぁ?」と間抜けな返事をすることしかできない。 「あなたは異能力、それに人格や戦闘センスが見込まれて八人目の醒徒会員として選ばれたのです」 おれが茫然としていると藤御門の隣に立っている副会長の水分《みくまり》さんがそう補足する。だけどそれを聞いてもいまいちピンと来なかった。 「おれが……醒徒会ですか?」 「そうなのだ。お主のラルヴァ戦の戦果を見て驚いたぞ。たった一人で巨大な怪獣を打倒したり、百万匹のラルヴァを一掃したりと大活躍ではないか」 「それで私たちが学園側に申請して、新しい役員としてあなたを迎え入れよう、という話になったのです。どうですか、私たちの仲間になってくださいますか」 水分さんはおれの手を取り、上目使いでそう言った。 こんな美人にこんなことされて断るやつなんていないだろう。勿論おれもそうだ。 「おれやります! 醒徒会の新メンバーに選ばれるなんて光栄ですよ!」 その日からおれの学園生活は激変したのであった。 「いっけー、やったー! かっこいい!」 おれは醒徒会書記である紫隠《しおん》とタッグを組み、双葉区で暴れるラルヴァや異能犯罪者を相手取って戦った。 おれの魂源力《アツィルト》を増幅させるために、紫穏はおれに抱きついた。会長と同じくぺったんこの胸だが、女の子独特の暖かな体温が伝ってきて、気持ちいい。 「ああ、危ない!」 紫穏の二の腕の柔らかさにうかれていたら、いつの間にか敵が目の前に迫っていた。敵は竜と虎とライオンと蛇と馬とカバを融合させたような巨大な怪物である。奴は何万人という人間を食料にしてきた絶対に許されない怪物だ。 だけどおれと紫穏が手を合わせれば倒せない敵はいない。 「必殺! エターナル・ルシフィック・デッドエンド!!」 無数の光弾がおれの手から飛び交い、怪物を一瞬にして蒸発させる。だが敵は死ぬ間際に最後のすかしっぺをかましてくる。 怪物は口からビームを発射したのだ。 おれは「危ない!」と紫穏を突き飛ばした。爆風がおれを吹き飛ばしたが、なんやかんやで生き延びた。 「だ、大丈夫か!?」 紫穏はおれが死んだと思ったのか、目に涙を浮かべて駆け寄ってくる。おれは指で彼女の涙をすくってやる。 「ああ、平気だ。だから泣くなよ、お前に涙は似合わねえぜ。おれはお前の笑顔が好きなんだ」 「バカバカ! 心配したんだよ!」 紫穏はぽかぽかとおれの胸を叩いてきたが、そこからは彼女の気持ちが痛いほど伝わってくる。 「悪かったよ。あんな無茶はもう――って痛っ!」 「もう喋らない方がいいってば、口切ってるみたいだから」 そう言って紫隠はおれの唇に、自分の唇を重ねた。 唖然としたおれは、まるで凍ったように固まってしまう。だけどおれとは対照的に紫穏は照れ臭そうに笑い、八重歯を覗かせる。 「あはは。あたしはちょっとだけだけど相手に触れることで治癒能力も促進できるんだ。でも、唇に触れたのは初めてだよ」 顔を赤らめているその笑顔はとてつもなく可愛くて、おれは一瞬にして恋に落ちてしまったのだ。 そうしておれは紫穏と付き合い始めた。 紫穏とラブラブな恋人生活を送っているある日、一通のラブレターが下駄箱に入っていた。 「誰からだろう」 封筒を見ても差出人の名前は書かれていない。 誰かの悪戯だろうか。おれはラブレターを貰うようなモテモテな人間じゃない。 手紙には「放課後体育倉庫で待ってます」と随分大人っぽい字で書かれていた。 おれには紫穏という恋人がいるのに参ったな……。 とりあえず丁重に断るつもりでおれは指定の場所へと向かっていった。 重苦しい体育倉庫の扉を開くと、意外にもそこには水分さんがおれを待っていたのだ。 しかも、なぜか体操服姿(ブルマ)で! 「み、みみみ水分さん! なんでここに!」 おれが驚き慌てふためる様子を見て、水分さんはわずかに微笑んだ。水分さんは日本的な美人で紫隠とはまた違う可愛らしさがある。 「手紙、読んでくれました?」 水分さんはふっと真顔になりそう尋ねた。おれはゆっくりと頷く。 「あなたが来てから私、変なんです。あなたが紫穏ちゃんと仲良くしているのを見ると、ここがチクチクして」 そう言って水分さんは自分の胸に手を置いた。ピチピチの体操服のせいで二つの膨らみははちきれんばかりに強調されていて、もしかしてノーブラじゃないのかって思うほどに揺れている。 見てはいけないと思っていても、ついつい視線が胸にいってドギマギしてしまう。 「こういうことを殿方に言うのは初めてなので上手く言えないのですが、私はあなたに恋をしてしまったようです」 ぽっと頬を赤くして水分さんは告白した。 「水分さん。気持ちは嬉しいですけど、おれには紫穏が――」 と言い終わる前に、水分さんはおれの胸に顔をうずめてきた。ふんわりとした彼女の黒髪の香りが鼻を刺激し、彼女のたゆんっとした胸がおしつけられる。 「ああ、ダメです水分さん!」 「いいの。わかってます。でもね、私はあなたの愛人でもいいから……紫穏ちゃんの次でいいから私を好きになってほしいんです」 そんな風につつましげに言う水分さんがとっても愛おしく、おれは思わず水分さんを抱きしめた。水分さんは何匹ものラルヴァを倒してきた最強の異能者の一人だが、こうして触れてみると彼女の肉体は細く、肩は小さくて普通の高校生の女の子だということがわかる。 「ああ、あなたにこうして抱きしめてもらうことを、夜毎いつも考えていました。もう一人で寂しい夜を迎えるのは嫌なんです」 「水分さん……」 おれは水分さんの濡れた唇を奪い、そのまま体育倉庫のマットに沈んでいった。 水分さんにたっぷり搾り取られた後、おれは忘れ物を取りに醒徒会室へと向かった。部屋にはほかの役員はいなかったが、会長だけが椅子に腰かけていた。 会長はおれを見るなりぴょんっと椅子から飛び上がった。その拍子にスカートがめくれ、黒いガーターのパンツが目に入ったのは内緒だ。 だがそんなパンチラのインパクトを吹き飛ばすようなことを、突然会長は言いだした。 「おい、お前は私と結婚することになったのだ」 「…………」 あまりにあまりなことで、おれは正直ただのたちの悪い冗談だと思った。どこかにどっきりカメラでもあるのかと辺りをうかがう。 「何を黙っておる、返事をするのだ。藤御門財閥はお前のような優秀な人材を内部に取り込みたいらしくてな、私にお前と婚約するようにと言われたのだ」 「はあああ?」 「なんだお前、私じゃ不満か?」 「え? いや、その」 正直なところ、おれはロリコンじゃない。 いくら会長が可愛いと言っても、それは子供的な(中一だけど)可愛さでしかない。パンツが見えても全然興奮しない。 悪いけどここはきっぱりと断るべき…… 「もし私の婿になるなら、藤御門財閥の資金を自由に使えるぞ」 「おれと結婚しましょう会長!」 そうしておれは会長と婚約し、会長が十六歳になったら結婚するという話になった。 いまはちんちくりんでも、いずれは会長も美人でグラマーになるに違いない。成長度という意味では紫穏や水分さん以上だろう。 そして何より藤御門の傘下に入るということは将来が約束されるということだ。この就職難で嫁と職が一緒に手に入るなんて感動的だ。 そうしておれは恋人の紫穏と、愛人の水分さんと、婚約者の会長と楽しく双葉学園での学園生活を満喫していった。 醒徒会に入ってからは男の友達もできた。 同じ醒徒会役員だが、かっこよくて頼りがいのある龍河《たつかわ》先輩にはよくしてもらい、無口だけど案外いい人のルール先輩からはイジメっこから助けてもらい、金ちゃんには金策の仕方を教えてもらった。早なんとかくんはいつもおれの昼飯を買ってきてくれたり、ごみを捨てに行って来てくれる。 おれは醒徒会に入ってから幸せになった。 それからもおれはラルヴァとの戦闘で大活躍し、みんなから信頼され、愛される存在になっていった。 「ばんざーい! ばんざーい!」 醒徒会のみんなはおれを褒め称え、胴上げをしていたのだった。 ○ ● ○ ● ○ 「はっ!」 っとその場にいる|七人全員《、、、、》が同時に目を覚ました。 珍しいことに、醒徒会役員の七人は、みんな醒徒会室で居眠りしてしまっていたようだった。昨晩徹夜で作業を続けていたせいだろう。 だが起きたばかりだと言う彼ら七人の顔色は悪く、青ざめている。 七人はお互いの顔を見て、ぽつりと呟いた。 「最低な夢だった……」 完 トップに戻る 作品保管庫に戻る
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ラノで読む 1999年7の月というのは、かの有名なノストラダムスの大予言にある「恐怖の大王」が君臨する時だったらしい。「らしい」というのは、当時あたしがまだ7歳で、そんな話を聞いたことが無かったからだ。 けれども、その日……恐怖の大王ではない何かが、あたしの人生を根底から動かしたのは、否定しようも無い事実だ。 世界中で「これこそ恐怖の大王だ」という話はあったらしいが、あたしはそうは思わない。 だって奴らは、幸せのうちに統治する、なんて事はしないから。 【金剛の皇女様】 Capture 0 「1999年7月某日」 草原の真ん中に、目をつむって立っているあたし。 黒い何かでべっとりと汚れてしまった、お気に入りのワンピース。 身体のあちこちを噛み切られて、いたるところに伏している複数の人影。息をしているのも、していないのもあるけど、どちらにせよ長くは持たないと思う。 そして、あたし達を取り囲む三つの黒い獣。 口から血を滴らせて、そこだけ真っ赤な獣。イヌかな、オオカミかな。どちらにしても、こんなに真っ黒いはずは無い。まるで、お月様が出ていない夜の、森の中みたいに黒い獣。 『わけが分からない』 『このまま死ぬのはイヤだ』 普通だったら、そう思う場面なのかもしれない。 けれど、あたしは確信していた。 『つぎに目をあけたときには、ぜんぶおわってる』 轟音と共に、獣のうちの一匹が吹き飛ばされる。放たれたのは単なる鉛球で、悪魔を殺すことはできない。 それでも、こいつらには十分だったみたいだ。一匹はもう動かない。驚いた二匹は、あわてて逃げていく。 「なんてこった……」 「おい、そこの君! 大丈夫か!!」 あたしが得意じゃないほうの言葉で、誰かが呼びかけてくる。 『うん、大丈夫』 そう返事をしようと思ったけど、すごくねむくって、そのまま倒れこむ。 もう、だれもおこしてくれないのかな、と思いながら。 「……なつかしー……」 それほど柔らかくない布団に包まれ、似たような枕に埋もれて、あたしは目を覚ます。 最近めっきり見なくなった、昔の夢。 あまりに衝撃的すぎて、忘れようとする努力すら無駄な出来事。 あたしの人生を決定付けることになった、夏の日の悪夢。 枕元に置いていた目覚まし時計に目をやると、まだセットした時間ではない。けど、起きるにはいい時間だ。 「んっ……うーん」 ベッドから上半身だけ起こして、大きく伸びをする。どこかでバキッ、という音が聞こえた気がしたが、気にしないことにする。 「……ててっ。よしっ、今日もがんばろー」 Chapture 1 「少年と女教師」 東京都24番目の区、双葉区。その中心としてそびえる双葉学園は、異能者を育てて怪異を討伐する専門の教育機関だ。とはいえ、育てられている彼等はあくまでも学生である。実際の扱いはともかくとして。 今、高等部の校舎内を爆走している彼、錦龍《にしき りゅう》も、それは同じことだ。 「間に合うっちゃ間に合うけどよ……!!」 ホームルームまであと2分。今居る1階中央口から、クラスがある3階までは彼の足なら1分で行けるだろう。そう信じて廊下を走り抜ける。 壁際を駆けている際に何かと接触したような衝撃が走るが、多分壁だろう。気にしないで階段まで加速、三段飛ばしでそれを駆け上り、手すりに捕まって無理やり方向転換。そんな事を繰り返しながら、まだ開いているドアから教室に滑り込む。 足下からホコリが舞い上がるほどの勢いがついてしまい、止まれない……と思った瞬間には、誰かに足をかけられていた。 「のわ、たぁぁぁぁ!!」 龍はそのまま派手にスッこけ、まるでブレイクダンスをしているかのように壁際まで一直線に転がる。幸い壁へ衝突とはならず、壁際でビタ止まりする。 「よードラ、重役出勤ご苦労さん」 「うっ、せぇ、トラ、すき、で、やって、ん、じゃ、ねぇ……」 足を引っ掛けた張本人である中島虎二《なかじまとらじ》が椅子越しにこっちをニヤニヤ覗き込んでいる。周りからはクスクスとかワハハとか笑い声が聞こえる。彼等にとってはいつもの事だ。 錦龍と中島虎二は、幼稚園からの幼馴染。いわゆる、腐れ縁というものだ。スポーツマン然とした風体で、今でも空手を続けている龍と、中世の貴族然とした(現代の人間がイメージする)美形であり、勉強は出来るが運動神経ゼロの虎二。正反対なところが良かったのか、不思議と馬が合った。 あまつさえ、両者に稀有な『魂源力』が備わっているという。それが縁で、この双葉学園高等部に編入する事となり、またもや同じクラス。腐れ縁は今も絶賛継続中だ。 編入されてから三ヶ月、龍は『異能』の使い方をあっさり掴んだ。一方の虎二は未だそれを掴んでいない。その代わり、勉学に関して龍は、虎二の書くノートに頼りっきりだ。 そういう意味では、相変わらずバランスがとれている。 なお、互いのことを「トラ」「ドラ」と呼び合うが、昔アニメ化してた小説はあんまり関係ない。というか両方とも男だ。 「そろそろ座らないとせんせーさんが来るっすよ?」 「わーってる、と!」 誰かの声に反応し、ひっくり返った状態から身体のバネだけで起き上がる。軽く虎二の方を睨むが、完全にスルーされる。憮然とした表情のまま自分の席に着き、学生鞄から諸々の勉強道具を取り出す。あんな状態でも鞄だけは手放さなかったのが不思議だと思ったところで、学内に予鈴が鳴り響いた。 学生の本分である、勉強が始まるわけだ。 予鈴が収まると同時に教室前面のドアが開き、黒いファイルとプリントを抱えた女性が入ってくる。 背の丈は成人女性にしてはやや低め。それだけならば良いのだが、それ以外が問題。 水色のチェニックにロングスカートという服装、童顔な上に黒髪を顔の両側からお下げにし、さらに起伏がほとんど見られない痩せすぎのボディライン。なお、近くで見ても顔にシワは見えない。 制服を身に着けていないという点で中等部、高等部生徒でないことは明白だが、かといって大学部の学生にも見えない。流石に初等部は有り得ない。 クラス委員がやる気がない起立、礼、着席をこなし、再び全員が着席したところで、女性が口を開く。 「おっはよー。今日も一日がんばろー。それじゃ出席とるよー」 そう、彼女が双葉学園高等部1-B、通称「鋼のB組」担任、春奈・C・クラウディウス《はるな・クラウディア~》、27歳。 日英ハーフであるという話だが、容姿を見る限りはいたって普通(幼く見える所も含めて)の日本人女性である。 あまりに似合わないファミリーネームの為、学生からは「春奈先生」「春奈ちゃん」もしくは「せんせーさん」で通っている。 教養の担当学科は現代国語、それとは別に高等部の異能力学科で『初級ラルヴァ知識』、及び『集団戦闘』を受け持っている。 黒い表紙の出席簿と首からかけている教員証を除いては、教員らしい外見要素はゼロである。実際大学部を歩くと間違えられる。 「そうそう、錦くーん……」 出席をとり、各種の連絡事項が終わったところで、声をかけられる 「はい?」 「遅刻しないつもりなのはいいけど、ちゃんと周囲を見て歩こうね……」 ぷるぷると肩を震わせている春奈を見て、一瞬で思いだす。さっき疾走していたとき衝突した感覚は…… 「! す、すみません!!」 「……まあいいや、他の人にはやらないように。それじゃホームルームはここまで。また午後にねー」 手を振りながら教室を出て行く春奈を見送り、教室内がにわかに騒がしくなる。 頭を抱えて座った龍の後ろから、虎二がペンでつっつてくる 「おいドラ、何やったんだよ」 「……多分、今朝の接触事故相手だ」 「側面不注意でマイナス1点だな」 「何が」 午前中の授業を、龍はあまり覚えていない。一般学科ばかりであった事と、今朝の全力疾走による疲労が堪えたのか、見事に熟睡だった。 絶妙のタイミングでフォローを入れてくれた虎二に感謝をしなくてはいけない。 「さあ、感謝の気持ちを伝えるには最適、昼メシの時間だ!」 「イヤに即物的だな」 昼休みの学食は、当然のように混む。学園は非常に広く、学食も複数存在する。さらに建物の外には学生向けの飲食スポットもあるのだが、やはり学食は目玉スポットであり、味や値段にバラツキはあるものの、どの学食も非常に込み合う。 「なーにをおごってもらおっかなー」 「俺がおごるのはA定だけだぞ」 そう言いながら、虎二にチケットを渡す。サンキューという言葉を残してとっとと先に行ってしまった。 高等部棟近くで一番の人気メニューであるAランチ。俺達はA定と呼んでいるが、定食と略す割りにメニューは日替わりだ。支給される学食のチケット一枚で頼めるのも好印象。券売機に並ばなくてすむ。とは言え、今日の龍はA定という気分ではない。ぶらぶらと券売機の方に向かう……と、微妙に混雑している。 「……先生、何やってるんすか」 「あ、錦くん? ……いやね、どっちにしようかなって」 混雑の原因は春奈先生。券売機の前で財布の中身とにらめっこしている。 彼女の視線の先にはカレーライスのボタン。どうやら『普通』と『大盛』で悩んでいるらしい。 「ダイエットでも?」 まず有り得ないと思うが、一応聞いてみる。彼女にそぎ落とす肉があるとは思えない。 「まっさかー。手持ちが少ないんだよ……」 とほほ、という表情と共に財布の中身を見せる先生。確かにこれでは、大盛を買ったら缶コーヒー一つまともに買えない。面倒だったので、券売機に大盛カレーの金額(310円)を突っ込みボタンを押す。 「……!?」 「これで、朝の事はチャラってことで」 「うわ、ほんとにいーの!? ありがとー!!」 飛び跳ねそうなくらいキラキラした表情を見せ、出てきた券を大事そうに持って歩いていく。 「給料日前だったっけ?……手持ち少なすぎだろ」 愚痴をこぼしながら列の最後尾に向かう。この長さだと何分かかるやら。 午後の授業は、五限目、六限目と春奈先生の授業が続く。前半は現代国語、本日の一般科目ラストだ。 「~という所までを、中島くん読んで」 「ちょ、せんせー! 今まで席順で指してたのにドラはスキップですか!?」 「ふふふ」 「ふふふ、いいから読みなさーい」 しぶしぶ立ち上がった虎二が、一連の文章を読み終える。 「さて、今中島くんに読んでもらった文で、明らかに主語と述語の関係がおかしかった部分があります。 ……錦くん、それはどこでしょう?」 「フェイントですか先生!」 後半は『初級ラルヴァ知識』。異能力学科のため、周りの目も比較的真剣だ。ただ、今の授業内容は「ラルヴァが持つ知能のレベルについて」であり、対ラルヴァ戦で既に活躍しているような一部生徒には、退屈ともいえる内容である。実際、約一名が熟睡している。 「加賀杜さーん、ちょっとまじめな話しますよー」 「ふぇ?……あ、ごめんなふぁい……」 「実際、今までの所は、もう知ってる人も結構居たでしょうからね……少しだけ、話を変えましょう」 先生が教本をパタン、と閉じる。 「さっき話したとおり、ラルヴァの中には人間を超える知能を持った個体も存在します。ならば、人類がラルヴァに対して持っている、明らかに優れたものは何でしょう?」 春奈先生の質問に、一同が考え始める。なかなか答えが出ないのを見たのか、ヒントを出す。 「もっと突き詰めて言うと……人類とラルヴァの大規模戦闘、いわゆる『悪魔の軍勢との戦い』では、人類は未だ負けなしです。局地的に負けていても、必ず巻き返し、失地回復をしています。どこかで負けてたら、多分大陸の一つは持っていかれてたでしょうね。……さて、なぜ負けないのでしょう?」 ヒントは数人を混乱させた一方、別の何人かがピンと来た顔を見せ、その中から一人が挙手する。 「姫川さん、どうぞ」 「はい。メンバーの連携……チームワーク、ですか?」 彼女、姫川哀は、同じクラスの伝馬京介、氷浦宗麻の両名と共に、ラルヴァ討伐チームの一員として活躍している。その回答に歓声が上がるが、先生の解説で、再び沈黙が訪れる。 「チームワーク……惜しいですね。数匹単位では、狩りの本能を利用して集団戦を仕掛けるラルヴァは存在します。でも、方向性は間違っていません……もうちょっと、視野を広げてみましょう。 数十から数百単位、あるいはもっと大規模な戦闘では、個々の能力はもとより、全体の戦況を見通した戦術、さらには戦略が要求されます。人類には、数千年前から繰り返し繰り返し培ってきた、戦術、戦略があります。ダテに身内で争っていた訳じゃないですね。組織だった異能者の育成が遅れ、不利な人類側が勝ってこれたのは、これらの積み重ねがあってこそ、です。それらを駆使するラルヴァの指揮官的存在は、現在確認されていません。高い知能を持つラルヴァでも、自分の能力を過信したり、集団戦の指揮に慣れていなかったり、というのが多いですね。 ……逆に言うと、ラルヴァが戦術、戦略を駆使するようになってからが、本当の勝負なのかもしれません。 大学部では、異能に関する歴史を研究する学科や、対ラルヴァ戦に特化した戦術を研究する学科もあります。興味がある人が居たら、資料を取り寄せておくので、言ってくださいね」 そこまで話し終えたところでチャイムが鳴り、教室がため息で包まれる 「お、ジャストで終わったー……せっかくですし、とっととホームルームやりましょうか」 「よっしゃ、終わりー!!」 ホームルームも終わり、教室が開放的な空気で満たされる。適当にダベッている者、クラブ活動や委員会の活動に移る者、早々に帰る者。龍はその真ん中、空手部の活動に出るため早々に教室を出ようとする。 「おーいドラ、お前はいいなー、やれる事があって」 虎二が少し羨ましそうに、出て行く龍に声をかける。 「お前も何か見つけろよ、俺より頭いーんだから、そっち方面で行けって」 軽口を叩きながら、龍がそのまま教室を後にする。 「……なーんか、ありゃいいんだけどなぁ……」 Chapture 2 「Before1999の憂鬱」 高等部職員室で赤ペンを走らせていると、これが本当の職業じゃないか、という気がしてくる。 実際に教師は本職であるが、それとは別に、異能の力など関係ない、ただの一教師として……あの1999年が無ければ、そんな未来も有り得たのだろうかと、感傷に浸ることもある。 「……ふう」 小テストの採点が一息つき、テーブルに置いた飲みかけの缶コーヒーを一気にあおる。錦くんに昼食をおごってもらったおかげの一本だ。重ね重ね彼には感謝。そうやって息を抜いた後、春奈は引き出しからプリントを取り出す。 彼女が担当するクラス、1-Bの生徒32人の名簿であり、名前の横に数字、もしくは文字『特』『無』の文字が振られている。 そのプリントとしばしにらめっこしていた彼女だが、横に座っている同僚の木津先生から声をかけられる 「春奈先生、そろそろ向かわないと間に合わないんじゃないですか?」 「ウソっ! もうそんな時間!?」 そんな風に声をかけられて時計を見ると、約束の時間まで一時間ちょっと。バスの時間まではあと数分も無い。 「ありがとーございますっ!!」 慌ててプリントをバッグに突っ込み、そのバッグを掴んで駆け出す。 「……自分のスケジュールを把握されてて違和感を覚えないって、鈍感すぎ」 慌てて出発直前のバスに駆け込み、揺られること一時間。そこから少し歩いた住宅地に、その建物はある。一見普通の和風建築、だがその中が魔窟と化していることを彼女は知っている。 「どうぞ、お入りください」 メイド服の少女に案内され、家の中に入る。迂闊に足元の物を踏まないように注意し、奥の部屋へ向かう。 「クラウディウス先生をお連れしました」 『……? ああ、春奈先生ね。入ってちょうだい』 扉越しに声をかけられ、先ほどよりもより注意し、物が溢れた一室に入る。 「久しぶり~、元気してた、那美さん?」 「まあまあって所ね。あなたこそ、全然大きくなってないじゃない」 「それはほっといて……お願いだから」 異能、特にラルヴァ研究者である彼女、難波那美とは、同い年という事もあり懇意にしているが、それだけではない。 『似たもの同士』 互いに1999年、運命を捻じ曲げられた者としての共感があるのだろうか。 「へぇ。高校からの編入で、未覚醒者が半分ぐらいだったのに、もう大半が使いこなせてるの?」 「あたしは何にもしてないよ、みんなの飲み込みが早かっただけ」 大まかな能力概要とレベルを書いた生徒名簿(名前の部分は、念のため仮名にしている)を見せ、今後について相談する。 「それで、これがチーム分けね……強能力者と目覚めたばかりとのツーマンセルね。まあ、こんな所じゃないかしら。能力詳細知りたいとこだけど」 「流石にそれは、プライバシーがあるから」 だいたいの能力とそのレベルは学園の機材で調査されているが、それで分からない部分も多々存在する。そこのあたりは互いに信頼し、自己申告で確認している為、迂闊に洩らすことは出来ない。 「さて、次はあなたね……準備いい?」 「バリウムみたいなのはダメ、今日はたくさんお昼食べたから」 「んなもの使わないわよ」 「……最近、能力使ってないでしょう?」 「まーね、使う機会ないし」 「そんなに頻繁にあっちゃ堪んないから」 「那美さんはその点、基本は単純だからねー。活躍は聞いてるよ」 「まあ、そこら辺は適当にやってるわ」 検査が終わり、春奈がチェニックを羽織る。 1999年に発生したラルヴァの大量発生、その前後に異能に目覚めた能力者は、色々と特殊な力を持つという。那美の『荒神の左手《ゴッド・ハンド》』は、その圧倒的な破壊力と、能力の発現原因(伏せられているが、ラルヴァに寄生されているという噂がある)という点で異彩を放つ。 一方で、春奈の『ザ・ダイアモンド』は、いちおう超能力派に分類されるだろうが、その使用法が極めて異質である。 「で、あなたの力、ようやく原理が掴めてきたところだけど……応用範囲無限大ね、これ」 「ヘタに応用しようとしたら、あたしの居場所無くなっちゃうって。ただでさえアレなのに」 春奈は苦笑いを浮かべ、バッグを抱えて立ち上がる。 「もう帰るの?」 「あんまりノンビリしてると、バスなくなっちゃうし」 「ん、じゃあまた……一月後くらいにね」 軽快な足取りで部屋を出て行く春奈の後ろ姿を見つめる那美の目には、少し呆れが混ざっていた。 帰りのバスに揺られながら、春奈はノートを広げる。中には、古今東西、史実フィクション取り混ぜた様々な『戦い』の記録が記されている。 「……うーん……」 何かを考えながら、ノートにシャーペンを走らせ、何かを書き加えている……これで、降りるバス停を乗り過ごすのは、日常茶飯事だ。 後編へ トップに戻る 作品投稿場所に戻る
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ラノで読む(推奨) 第二話前編へ戻る 幕間 一日前、双葉学園内生徒指導室 放課後、人が増えてきた学外とは対照的に、生徒が去っていって少し寂しくなった校舎内。その中にある『生徒指導室』に、二人の男女が座っていた。男が生徒、女が教師といった風体である。 学校指定の学ランを着て、扉側に座っている男子には、斯波諒一《しば りょういち》。スーツにファッションメガネという姿をして、窓側に座っている女性には、木津曜子《きづ ようこ》という名前があり、世間的には生徒と担任教師、さらには従姉弟という関係となっている……が、実のところ、二人は科学者集団『オメガサークル』の構成員であり、その名前よりもより強く自身を表すコードネームがある。 「それで、アンダンテ。急な任務って何だ?」 「学内では木津先生って呼べって言ってるでしょ? ここなら大丈夫だけど……任務は、この少女に関することよ」 アンダンテと呼ばれた女が、バッグからホッチキスで挟まれた数枚の書類を投げ渡す。 「三年G組……この三年ってのは、中等部と初等部、どっちだ?」 「高等部よ」 アンダンテの一言で、少年がズッこけた。容姿と実年齢がまったく異なる生徒が、この学園にはそこそこ多い。それを、すっかり忘れていたのだ。 「……で、その『先輩』がどうしたんだ?」 「数日以内に、その少女に『襲撃者』が現れる。襲撃者が何者かを確認するのが、オフビート、あなたの任務よ」 淡々と任務を告げるアンダンテだが、短い指令のなかに、いくつかの疑問点をオフビートと呼ばれた少年は見つける。しかし、それをストレートにぶつけるような事はしなかった。あくまで『任務に必要なこと』と匂わせるように、言葉を選んで質問をする。 「そいつ、他に監視はついてるのか? 他の奴が居たらやりにくいかもしれない」 「居ないわよ。少なくともウチで、私の知ってる限りはね。目標としての優先度はあなたの担当より数段下、聖痕《スティグマ》も狙ってるそぶりは無い」 オフビートの眉間に皺が寄るが、アンダンテにそれを気にする様子はない。次にオフビートが聞いた内容は、少し迂闊だったかもしれない。 「それで、俺にその指令が来た、ってことは、それなりに意味があるんだろ?」 「あなたの顔の広さと、防御力ね。『襲撃者の正体を知る』のが目的だから、過剰な攻撃力は必要ないし、あなた、意外と顔広いでしょう? 襲撃者を見たことがあるかもしれない。もっとも、一番の理由は『一番近くで暇そうな任務してたから』だけど」 「……最後に、その暇そうな任務についてだ。襲撃者ってのは、伊万里を襲う可能性があるか?」 「上のほうに入ってきた『確かな情報』だと、リストの下の方ね。数日中は無いだろうから、安心なさい……あ」 アンダンテが『言わなくていいことを言った』ことに気づいたのはすぐだが、もう後の祭りだ。気を取り直して、言葉を続ける。 「……別にこの子の生死は問わないから、確認したらすぐ撤収していいわよ。肝心なのは、しっかり報告をすることよ。いいわね」 Scene Ⅳ 昼、双葉区住宅街 「……駄目ね、専門でもない事に顔を出しちゃ」 壁を背にして、遊衣は後悔していた。さっきまでの行動は、手落ちが多すぎた。逃げるなら逃げる、向かっていくなら向かっていくで、ハッキリするべきだった。もっとも、相手は異能者なのだから、ここは人影を確認して即逃亡、が最善手だっただろう。そういう所に気が回る、また、そういった事によく巻き込まれていた夫が亡くなって、ここ数年そういった事態が発生しなかったことは言い訳に出来るかもしれない。 (……言い訳しても、どうしようもないけれど) 窓から入ってきたのが少女の味方でなくて良かった、と少しだけ安堵するが、彼女達が巻き込まれている状況自体には、あまり変化が無い。 彼女達の目の前で、異能者同士がぶつかり合っている。遊衣と、その横に居るロスヴァイセには、流れ弾を回避する力すら無いのだ。 少女が、振り下ろしていたミンチドリルを引く。金棒のトゲがいくらか『削られて』いた。あのまま叩きつけていたら、その全てが削られるだけではなく、その巨大なドリル自体が消滅していたかもしれない。そこはオフビートが行った『芸当』の連続使用時間との勝負となるが、それに挑む賭けを、少女は選ばなかった。 「『知ってるかも』とは言われてたけど……アル・フィーネ、お前だったとはな」 「その名前で、私を呼ばないで!!」 アル・フィーネと呼ばれた少女が、ドリルを横薙ぎに振るう。これをオフビートは、今度は異能を使わずに後ろへ跳んで回避した。少女の動き自体は緩慢だが、一度でもそれに触れればタダではすまない、という威圧感がある。 「そこの人!! あんたは『安達凛』じゃないな!?」 「え!? ……娘は今、外出中よ。どこに行ったかは聞いてないし、泊まっていくとも言ってたわ」 オフビートの問いに、遊衣は平然と嘘を混ぜて答える。横でロスヴァイセが驚いた顔をしているが、幸いアル・フィーネはその顔を見ていない。 「と、いう訳だ。目標が居ないのにここで戦い続けるか、街をむやみに探すか、退くか。前二つを選ぶなら、俺は邪魔をする」 オフビートは、暗に撤退をすすめる言葉を少女に放つ。無論、三つ目を選ぶとしたらこっそり後を追うつもりだ。アンダンテの言葉尻をとらえるなら、放置すれば、彼の監視対象兼『恋人』である、巣鴨伊万里《すがも いまり》に危害が及ぶかもしれないのだ。その芽は早いうちに摘んでおきたい。 「なら、目標が帰ってくるまで待ちます」 「……え?」 「私は、恩を返さなきゃいけないんです、私を救ってくれた人に。その邪魔をする酷い人は、みんな死んじゃえばいいんです!!」 思惑の外れたオフビートの頭上に、再び金棒が振り下ろされる。それを両手でなんとか受け止めたオフビートが次に見たのは、ミンチドリルから手を離し、虚空から別の武器……長い柄の先に刃物がついた、長刀《なぎなた》……を取り出した、アル・フィーネの姿だった。 「ロスヴァイセ、状況は!?」 『男の子が乱入して防いでくれてますが、手数で押されています』 「二階堂さん、そっち右!!」 「ああ、分かった」 ちょうどアミーガに来ていたおやっさんの知り合いと、おやっさんとバイクの話をしていた高等部の少女……が足代わりに使っていた青年の二人が駆るバイクに乗り、家への帰路を急ぐ安達久、凛の姉妹。永劫機の契約者である久は、ロスヴァイセと連絡を取り合い、現状を確認している。二台のバイクが連れ立って走っている場面は、そのバイクの巨体も相まって、日本とは思えない。 「ここで止めて!! これ以上行くとバイクの音でバレちゃう」 「ああ、何か手伝える事はあるか?」 「いえ、大丈夫です。家のことですから」 自宅から一ブロックほど離れたところでバイクから降り、後は走りで自宅を目指す。 「けど、姉さんが狙いだなんて……」 「何でだろね? 久《きゅー》くん、ママに聞いて欲しいことがあるんだけど、ロッセを通して聞いてもらってもいい?」 「……?」 オフビートとアル・フィーネの戦いは、膠着していた。 横薙ぎに払われた長刀を、金棒を投げ捨てながら危ういところで回避したオフビートは、その後も色々な武器を虚空から取り出しては振り、無理とみるや叩きつけて別の武器を引っ張り出すその少女に押されっぱなしだった。防御力は人並みのように見えるが、ポケットのナイフを抜いて攻撃にまわる余裕が無い。 一方のアル・フィーネも、色々な攻撃を繰り出し、その悉くを防がれているせいで、精神的に押されていた。何か決め手が無い限り、一気に押し切ることは不可能だ。 互いが互いの異能を知っており、その上で戦闘に突入したが故の千日手。均衡を崩すには、どちらかの体力、もしくは集中力が切れるか、第三者が介入するのを待つしかない。 アル・フィーネの視界に、何かに頷いてから部屋の外へ駆け出すロスヴァイセの姿が映った。追おうとすればオフビートの追撃を受けるのは必至、目で追うだけで、すぐに視線を戦闘相手に戻す。彼女……資料に無かった人物だが……は、抹殺対象には入っていない。 「お前の異能……『F・I・F・O』だったか、そんなに大量の物を格納できたのか?」 攻撃を捌いたつかの間、オフビートがそんな言葉を洩らす。 オフビートは、共同演習で彼女の異能と、その使い方を知っていた。それはアル・フィーネも同様である。 彼が知っているアル・フィーネの異能は、いわば『出る順番が決まっている四次元ポケット』だ。彼女の足元に発生する異次元へのゲートへ物を投げ込んでおくと、それが異次元に格納される。取り出すときは頭上にゲートを発生させることで、落ちてくる。ただし、格納できる物体のサイズ、重量にはかなり厳しい制限があり、取り出す際も、入れた順番でしか出てこないという欠点がある。さらに、オフビートが知っているアル・フィーネは、それほど筋力がある方ではなかった。初めに振り回していたドリルなど、彼が知っている彼女なら持ち上げることすら困難だっただろう。 「私は変わったんです!! どうしようもない世界から私を引き上げてくれた、あの人のお陰で!! そ、その人の邪魔をするひどい人は、みんなみんな死んでください!!」 次に彼女が引っ張り出したのは、鎖つき鉄球。室内ということもあり振り回す半径は小さいが、それでも直撃すればただでは済まない。 「……精神の高揚と、異能強化を同時に行う薬物の投与、かしら?」 遊衣が、アル・フィーネの様子を見て呟く。その様子を、臨戦態勢のまま他の二人が視界に捉えた。 「筋肥大化等の処置は受けてなさそうですし、精神を無理やり高揚させ、実際以上の筋力を発揮、同時に異能も性質はそのままで、スペック強化を実現する……兵器開発局で、そんな薬物の研究をしていたと聞いたことがあります」 「……それって、ヤバいんじゃないのか?」 実感が篭ったオフビートの疑問符に、遊衣が無言で頷く。そんな二人を、アル・フィーネはこちらも無言で睨んでいた。 「私が知っている限り、異能の人為的な強化には少なからぬリスクがある。薬物が切れた途端に、激痛と異能の反動で、という事も……」 「私が弱いのがいけないんです!! 私が弱い異能と弱い身体しかないせいで……!!」 何か逆鱗に触れたかのように叫びだすアル・フィーネだが、それに介せずオフビートが言葉を重ねる。 「それはいいけど……お前、種切れだな?」 「!?」 「ひたすら攻めを継続して、こっちが攻めるチャンスを潰す、みたいな感じでやってたのに、急に攻めが止まった……次に出てくるのが最初に出してたヤツになったか、そうでなくても攻めに使える物じゃない。そんなところだろ?」 横で見ている遊衣には分かりやすいが、アル・フィーネが武器を引き出すときには若干のタイムラグがある。一つ一つの武器を習熟していない彼女は、相手に武器を受け止めさせた隙に新たな武器を引き出す、ひたすらごり押しの戦法を採っていた。つまり『次が武器でない』状況では、迂闊に次を繰り出すことが出来ないのだ。 だが、ここでオフビートは不用意に突っ込めない。彼にもまた、異能を連続で使用した反動が来ていた。頭が痛み、集中を切らしてしまえばその瞬間にも、彼の手の平から出ている高周波の盾は消え去ってしまうだろう。そうなってしまえばやられるのは自分である。 ここで再び、膠着状態が……先ほどまでの動きがあるものではなく、動きが無い、にらみ合いの状態が訪れた。そして二人は、その空間に現れた変化を気づくことができなかった。 その均衡を破ったのは、凛とした叫び声。 「オフビートくん、かわしてよ!!」 部屋の扉の向こう側……アル・フィーネが背にして、オフビートからは丸見えのその位置に、先ほど遊衣が捨てた短機関銃を持った凛が立ちふさがる。総重量が3kg程度のそれは凛でもしっかり持つことが可能であり、その銃口は、新たな弾薬を装填して、背を向けているアル・フィーネをまっすぐ睨みつけていた。 再び、嵐のような叫び声が部屋を埋め尽くす。オフビートは横にジャンプして難を逃れ、一瞬反応が遅れたアル・フィーネも、鉄球を放った反動で跳躍、辛うじて弾丸の雨を回避した。彼女が次に『出せる』ものは、最初に出した鉄板であり、その時と同じように盾として使う方法もあった。だが、床が抜けてしまうほどの重量があるソレを出す危険を冒す事はない。彼女が跳んだ先には、反撃のための武器……異次元に戻さず床に放ったままのミンチドリル……があり、それを目の前に出てきた目標の頭へ振り下ろせば、それで彼女の仕事は完了するのだ。 「おま……!!」 「ごめんなさいっ!! 死んでください、安達凛さん!!」 二人が跳んだ方向は正反対、オフビートがアル・フィーネを取り押さえる前に、彼女の金棒が凛の頭を打ち砕くだろう。 慌てたオフビートが凛の顔を見ると、何かを確信しているかのような自信に満ちた表情で、部屋の奥……否、窓の外を見ていた。 アル・フィーネが扉の目の前に来るのと、弾を撃ち尽くした筈の銃口が再び火を噴くのは、ほぼ同時だった。 「っ……!!」 突然のことに、身体をよじって回避するのがやっとだった。それでも腹部と腕を数発かすめただけで済み……ただ、それに付随する状況の悪化は、それだけでは済まなかった。 「今のうちっ!!」 体勢を整えたオフビートが踏み込み、アル・フィーネの手を蹴り飛ばした。彼女の手からドリルがはじけ飛び、床に転がる。 「痛っ……!?」 床を転がっているソレは、銃を捨てた凛が持ち……いや、持てなかった。両手で持ち上げようとするも、重量に負けてそのまま地面に置いてしまう。 「うわ、これ重い……よく振り回せるよね、こんなの」 「さあ、観念してもらおうか? 出来れば、目的から何まで洗いざらい話して欲しい所だが……」 オフビートがナイフを取り出しつつ、アル・フィーネに迫る。機関銃を鈍器代わりに構える凛が傍らに立ち、逃げ出せそうな隙は見つからない。 「しまった……!!」 「大丈夫そう、かな」 『はい、上手くいって良かった……』 木の上に座って窓を見ている久と、膝をつく体勢をとって出来るだけ目立たないようにしているロスヴァイセ……の、ロボット形態。その能力が発揮される際に発生する『霧』は、単に能力範囲を示すだけであり、空間的に密閉されていても、そしてロスヴァイセからその場所が見えなくても、『時間重複』というその能力を使うのに支障はない。 「……まったく、姉さんもあぶなっかしい事するんだから……」 中の様子を見て、ロスヴァイセの特殊能力を発動させる。『凛が放った銃弾』を再現させ、飛び出してきた襲撃者に、再度の銃弾をぶつけた。それは有効打にはならなかったようだが、助けに来てくれた少年……オフビートがそれに合わせてくれ、なんとか襲撃者を取り押さえることができた。 「……けどこれ、重複の能力さえ使えれば良かったよね」 『元々この身体は、対大型ラルヴァ用ですから……あれ、どうしました?』 「いや……あれ?」 ロスヴァイセと雑談モードに入っていた久だが、唐突に頭の上を見上げ、つられて上を見上げたロスヴァイセと共に、驚愕の声を挙げた。 『あ!? あれって……』 「つつっ……何だ!?」 「オフビートくん、だいじょ……ええ!? あわわ……」 地に伏せたアル・フィーネを守るように、黒い獣が立ちふさがる。窓から飛び込み、目の前のオフビートをはじき飛ばした。庇われた側のアル・フィーネは、不服そうな、しかし何とかなったという表情をしている。 「っ……見て、ました?」 黒い獣は何も言わずにアル・フィーネを咥え、再び窓から飛び出して行ってしまった。その姿には、明らかに何者かが指示をする気配が感じられる。 「待てっ!!……あー、行っちまったか……」 「あ、あいつ確か、この前ママを襲った……」 「……あれ、もしかしてラルヴァではなくて、異能者……?」 何のためらいもなく逃げ出した獣を追いかける隙は無く、オフビートが追いかけようとするも、その時には既に屋根伝いに、はるか遠くへ去って行ってしまっていた。 「姉さん、大丈夫!?」 「あ、久《きゅー》くん。うん、なんとかー……」 「……?」 慌てて部屋に駆け上ってきた久に笑顔で手を振って答える凛。そしてその久を見て、ハテナマークを浮かべたオフビート。 「えっと、オフビートさん。ありがとうございました」 「いや、それは良いんだけど……お前、どこかで会わなかったか?」 オフビートの台詞に一瞬、凛はビックリ顔を見せ、遊衣は顔を背ける。幸い、久はそっちを見ていなかったため、気づかなかった。 「いや、僕は覚えが無いです。おかあさんか姉さん、何か……ん、何か変なこと言った?」 「え、ええ? そんなこと無いよ!?」 「オフビート君、だったわね? 貴方はあの襲撃者について、何か知っている?……いいえ、『どこまで教えられている?』って聞いたほうが良いわね」 自身に向けられた質問はスルーして遊衣が問いかける。凛の反応と共に、あまり触れられたくない様子がバレバレだ。 「せいぜい、そこの子……先輩が狙われてるってのと、同じように狙われてる奴がそこそこ居る、って事ぐらいだな。俺が下っ端中の下っ端ってのは、だいたい予想できるだろ?」 「まあ、ね……あなたが組織側、で大丈夫なのね? さっきの口ぶりなら」 「多分な。『上司』ごと裏切ってたら、流石に分からない」 Scene Ⅴ 夜、双葉区住宅街 「置いてきた荷物は、明日の帰りにでも取りに行った方がいいかなぁ……」 その夜、襲撃者の去った家で、暢気に夕食を食べる四人。ドアは遊衣のツテであっという間に直ってしまった。双葉学園にある何番目かの建築部が行ったものらしいが、凛と久はその人達を知らなかった。 「そうね、流石に今日取りに行くのは危険すぎるわ……連続で襲撃が来るかは分からないけれど」 「…………」 普段はいつも会話の中心にいる凛が俯いているせいで、食べ終わった後も食卓が静かだ。 「……姉さん?」 「ん? あー、何でもないよ、久《きゅー》くんは気にしないで」 「……ごめんなさい、あんな事をさせて」 遊衣が、唐突にそんなことを言う。彼女を戦いに参加させてしまった事か、その際に『人を撃つ』という経験をさせてしまった事か。 「ううん。あいつ、わたしを狙ってたんだから仕方ないよ。それより、ママが無事で良かった」 気丈そうに手を振る凛だが、その顔は冴えない。 「……二人とも、何も聞かないのね」 重そうなため息をついて、遊衣が呟いた。 「まーね、知っておきたいなとは思うけど、その時になったら、ママはちゃんと教えてくれるでしょ? なんでへっぽこな異能しかないわたしを狙うのか、とかも」 「さっきの人の話だと、僕の記憶が無い昔に、あの人達も関係してそうだよね……まあ、姉さんと同じ、必要になった時には。それまでには心の準備しておく」 「皆さん、食後のお茶が入りましたよ。ほら、暗くなってちゃいけません」 奥からロスヴァイセが顔を出してきた。あまり話は聞いていなかったようだが、心配そうな様子は十分見て取れた。 「そうね、二人には心配かけるわ……ごめんなさい」 「ママはそんなの気にしなくていーの。悪いのは襲ってくる奴なんだから、これから来たらどうしようとか、そういう事考えよ」 「いざという時は、私がもっと頑張らないといけませんね。頼りにしていてください、長女なんですから」 凛の言葉に呼応するように、両手をぐっ、と握ってロスヴァイセがアピールする。いつの間にか、彼女も家族の一員として、普通に馴染んでいるようだった。 その夜、久は妙な感覚で目を覚ました。さっきまで、どこか別の場所を歩いていた気がする。真っ白くて、何も無い場所を。そして目を覚ましたとき、ここが現実なのかどうか自信がない。少なくともこの三年間、そんな気持ちになった事はなかった。 「……おかしいなぁ……」 眠気が残ったままの久が、部屋を出て台所へ降りようとする……と、すぐ隣、凛の部屋から、まだ光が漏れている事に気づいた。 「……姉さん?」 どうしても気になってしまい、ドアを叩いて中を覗く。 「…………あ、久《きゅー》くん。どうしたの? こんな夜中に。怖い夢、見たとか?」 そちらに気づいた凛が、久に向けて笑顔を向けた。何かを抱えた、難しそうな表情をして。 「夢……あ、そっか。そうだよ、夢だ!!」 「へ、夢?」 一人合点している久に、目を点にしている凛。その凛も、少し経ってようやくその意味を理解した。 「……そっか!! 久《きゅー》くん夢見たの!? それで、どんなのだった?」 「いや、よく覚えてない」 「あらら」 威勢良くコケる素振りを見せた凛に、久が心配そうな声をかける。 「……姉さんは、大丈夫? さっきまで、寝てなかったみたいだけど」 「うん……大丈夫って、ママの前では言ったけどね。やっぱ、キツいかな」 そう話し始める凛の声に、先ほどまでの強い成分はあまり含まれていなかった。 「ユリカちゃん……あ、今日行ったあの喫茶店で逢った友達ね……が狙われてるのは、すぐ近くで見たことあるし、ちょっとした事件に巻き込まれたことはあるけど、わたし自身が狙われるような事って、想像もしたこと無いから。へっぽこな異能しか無いからね、わたしって。だから、これから何が起こったとき、大丈夫なのかな……って」 その縮こまっている様子は、先ほどまでの皆を先導する光を放った、明るい少女のものとは程遠い。母猫に置いていかれて震えている、小さな仔猫のように見えた。 久が凛の枕元に座り、その胸元で組んでいる両手を軽く引っ張って、掴んだ。 「……僕は姉さんみたいに、無責任な『大丈夫』は言えない。けど、姉さんが頑張ってるときに近くに居ることはできるし、姉さんに悪いことが襲い掛かっても、みんなで力をあわせれば、きっと乗り越えられると思う……だから、姉さんには、笑っててほしい。そうすれば、全部が上手くいくと思える」 久を見ていた目の奥に固まっていた不安が、みるみるうちに溶けていくようだった。そして最後には、いつもの、いたずらっぽい表情の凛に戻っていた。 「久《きゅー》くん、どこでそんな言葉覚えたの? 笑っててくれって、まるでくどき文句みたいだよ?……でも、ありがと。ついでにもう一つ、お願いして良いかな?」 「うん、何?」 「『絆』が、欲しいな……わたしと久《きゅー》くんを結ぶ、きょうだい、っていうのとは、別のものが」 「……いや、そういうのはいいから」 「ふえーん、久《きゅー》くんがノッてくれないー……」 いつもどおりの漫才を繰り返しながら、二人の、そして一家の夜は更けていく…… Scene Ⅵ 夜、双葉区某所 「以上、報告終わり。まだ何かあったか?」 『無いわね。お疲れ様、以後通常任務に戻って、別命あるまで待機。以上よ』 通信を終え、オフビートが携帯端末を仕舞う。余計な手出しをした事について、上司であるアンダンテは何も言わなかった。もっとも『何かしてもいい』的なニュアンスを漂わせていたのは向こうが先だったが。 彼女の話では、安達凛を襲った襲撃者……アル・フィーネは、数週間前に上司が何者か、恐らく敵対組織である聖痕《スティグマ》に拠点ごと抹殺されて、本人も行方不明となっていた。状況から見て、誘拐されたか『跡形も無く消された』かのどちらかと見られていたが、その彼女がなぜ現れ、しかもオメガサークルでは監視対象を超える存在ではない『死の巫女』……その名をオフビートが知っているか、知らないかは分からないが……を襲撃したのか。その部分は謎に包まれている。 そして最後に乱入してきた黒い獣、これについてもアンダンテは何かを知っている口ぶりだったが、それをオフビートに洩らすことは無かった。ただ空気を察するに、アル・フィーネと同様『居なくなった筈の者が現れた』といった様子が感じられただけだ。 結果的に想定以上の情報を手に入れたとはいえ、組織から報酬がある訳でもない。オフビートもそれは承知しており、自身が求めるものを手に入れただけ、という印象がある。 (……そうだ、思い出した。安達凛の弟) 本来考えるべきことを脇において、オフビートは昼間に感じた違和感を辿っていた。 (外見で似てるのは髪の色だけで、髪型も、体型も違う、サングラスをかけてる訳でもないし口調も全然違う。でもあいつは……) 彼の中で、安達久と、ある人物のイメージが重なる。 (醒徒会のエヌR・ルールとイメージが被るんだ……けど、なんでそう思うんだ?) オフビートは、そこで考えを切り上げた。考えても仕方の無いことだし、目下の自分には関係ない事だからだ。 安達凛、そして安達久をめぐる事象の針はまだ回り始めたばかりだが、容易に止められるような物では、なくなっていた。 トップに戻る 作品保管庫に戻る
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【宮城退魔帳 その二】 差し込む朝日で目が覚める。 俺は仮の寝床であるソファーから起き上がりカーテンを開く。外は快晴だ。 腕の怪我ももう違和感が無く痛みも無い。傷口は残るだろうが治癒の異能の効能には驚くばかりだ。 俺達が双葉学園に来てから既に三日が経っていた。 現在、俺と相沢さんは部屋の入居手続きが完了するまでの間、仮の住いとして千晶さんの部屋にお世話になっている。 それ自体は問題ない、むしろありがたいことではあったのだけれども困ったことがあった。 それは、低血圧なのか千晶さんも相沢さんも朝が凄く弱く完全に目が覚めるまで暫くかかること。 現在朝の六時前、日も昇り窓の外からは雀の囀りが聞こえてきている。 「そろそろ、か」 昨日、一昨日と同じなら二人とも6時にアラームをセットしている筈だ。 六時ジャスト、案の定目覚まし時計特有のけたたましい音が鳴り響く。 俺はとりあえずそれをBGMにしながら三人分の朝食を作りにかかった。事前に千晶さんの許可は取ってある。お世話になっているせめてもの恩返しだ。 まず冷蔵庫から紅鮭を取り出しオーブングリルに入れ弱火で少しずつ焼き上げる。 鮭が焼けるまでの間に軽く味噌汁を拵えよう。 先ずは鍋に水を張り昆布を浸す。これは既に昨晩仕込んで置いたから問題ないのでこのまま火にかける。 鍋が煮立つまでの間に器に納豆、菜のお浸し、卵を盛り付けておこう。 グリルののぞき窓から紅がいい具合に焼けていることを確認して火を止める。あとは冷めるのを防ぐため直前までここまま置いておこう。 ある程度鍋が温まってきたら昆布を取り除きすばやく味噌を溶いた。仕上げに豆腐と油揚げを入れて出来上がりだ。 そうして朝食の支度がほぼ終わりかけた頃、二人はのそのそと起きだしてきた。 「おはようござっ…」 俺は反射的に回れ右をしている。 二人の格好はというと寝巻きははだけて下着が露になっていたり上半身裸にTシャツだったりと年頃の男性にとって非常に刺激の強い格好だった。 「二人ともその格好をどうにかして下さい!」 俺は後ろを見たい衝動を理性で捻じ伏せそう叫ぶのが精一杯だった。 二人はその一言でやっと完全に覚醒する。 「「きゃああーーーっ!」」 朝の爽やかな空気の中に悲鳴が木霊した。 「いやー、ゴメンね大声だして」 「慧護さんごめんなさい…」 千晶さんは照れ隠しか笑いながら、相沢さんはしゅんとして謝る。 「いえ、いいですよ事故みたいなものですし」 味噌汁を啜りながら答える。 「それよりも今日の予定は何でしたっけ?」 本当は分かっているが多少強引にでも話を変えてしまいたかった。 「そうね、今日は双葉区内の各施設を回ってもらうわ。そして最後に部屋に案内ね。」 「はい、ありがとうございます」 まだどうにも気まずかった。 「はい、先ずはここ、明日から貴方達の学び舎となる双葉学園の高等部の校舎群よ」 千晶さんが指差しながら説明する。 「各校舎には第六十一~九十までの番号が振られており、各学年ごとに三~四クラスが入っています。」 「はい、千晶先生。質問です。何故六十番からなんですか?」 相沢さんが手を上げて質問する。確かに何故六十番からなのだろう? 「そうね、この学園は小中高大一貫校だから小学校から順に校舎の番号が割り振られているの。小学校は一~三十番。中学校は三十一~六十番という感じにね」 千晶さんは続けていう。 「あと、各学年のクラス数は約50ちょっと。残った校舎は部活棟や特殊教室棟、ラルヴァの襲来によって校舎が破損した場合の予備として割り振られているわ」 「なるほど、メモメモ・・・」 相沢さんがそう言いながらメモ帳に書き込みをする。 「それで、僕達の編入されるクラスは何番校舎ですか?」 「まぁそう急かすな少年。それは今から説明するから。ついてきなさい」 そういって千晶さんは歩みだす。 俺達はそれに続いて歩く。その間道を覚えようと周囲の景色に意識を巡らせていた。 周囲の校舎に打たれた番号が移り変わっていく。八十八、七十三、六十九・・・。 「そしてここが貴方達の学び舎、65番校舎よ」 目の前に立つ何の他の校舎とそう変わりないがこれから世話になることを思うと妙に感慨深い。 「貴方達が編入されるの二年十八組はこの校舎の2階階段上って左側です」 「校舎内は他に目立つような場所は無いのでここまでですね。次は中央アーケード街に行きます。必要品があれば今のうちに買っておくのもいいかもしれないわ」 「はーい」 相沢さんが何故かやたら嬉しそうに返事をしつつ俺達は中央街に向かった。 「何故、こんなことに…」 一人呟く。俺の両手には片側10kg近い荷物がぶら下がっていた。 「それでねーこのお店、安い割りにいいものが多いのよー」 千晶さんがはしゃいでいる。 「そうなんですかー。あっ、これ可愛い!」 「でしょう!それでねこっちのクレープ屋も昔からの定番でねー」 その先は聞き取れない。しかし、女性というのは買い物に関しては異常なまでの情熱を燃やすと聞いたことがあるがこれほどだとは思わなかった。 時計を見る。本来俺達を引率するはずの千晶さんもすっかりはしゃいでしまい本来の時間を大幅に過ぎているはずだった。 楽しんでいる二人には悪いが次に急がなければならない。 「あのー千晶さん」 「はい?」 心なしかその声色には不機嫌な成分が多量に含まれている気がした。 「楽しんでいるところ悪いんですが、そろそろ次に行かないと・・・」 そういって時計を指す。アーケードの中央に設置された大時計はもうすぐ3時を示そうとしていた。 「ああ、もうそんな時間…。えー中央アーケード街の紹介はここまでにして次は本日最後の施設、対ラルヴァ機関ALICEへと向かいます。時間が無いのでダッシュで」 千晶さんは頬に生クリームをつけたまま走り出す。タイトミニの割りにはかなりの早さだ。 「あっふぃあふぃふぁんまっふぇくふぁふぁーい」 まだクレープを頬張っていた相沢さんも食べながら追いかける。 そして俺一人が残された。 「…。俺に一体どうしろと?」 走る事自体は可能だが、間違いなく袋が保たない。 両腕にそれぞれ10kg超の荷物を抱えながら俺は途方に暮れるのだった。 「ぜぇ…ぜぇ……」 あの後荷物の紐が切れないように細心の注意を払いながら可能な限りの速さで追いかけたが結局追いつけなかった。 結局道すがらに人に道を尋ねながらたどり着くことは出来たが、かなり無駄な時間がかかってしまった。 「少年遅かったじゃないか」 その声で施設前の駐車場で待っている二人の姿を見るける。千晶さんの頬にはまだ生クリームが付いたままだった。 しかしなんでこの人は余裕ぶっているのだろうか? 言いたいことは山ほどあるが今はヘバって何も言えない。 「慧護さんごめんね」 相沢さんが朝と同様に申し訳なさそうに謝る。 「おや、相沢さんが悪いわけではないから気にしなくてもいいよ」 「でも…」 まだ申し訳なさそうにしている相沢さんに笑顔を返す。 「えー、ゴホン。お前ら惚気るのはいいがせめて場所を選んでくれ。それ行くぞ」 いつの間にか背後に立っていた千晶さんが少し照れたように言い、早足で施設内部へと入っていった。 「…俺達も行こうか?」 「うん」 お互いに相手の顔を見ずに言う。だって照れた顔なんかあまり見られたくないじゃないか。 「貴方達が双葉学園と共に所属するもう一つの組織がALICE アリス 、Anti Larvae InterCepting Engineです。」 ブリーフィングルームに千晶さんの声が響く。そこにはさっきまでの少しおちゃめな雰囲気は消え、間違いなく教師としてここにいた。 「アリスは双葉学園の創設とほぼ同時期に設立された対ラルヴァ機関で戦闘系の異能を持つ学生・職員によるラルヴァ討伐を目的とされた組織です。」 「システムとしては単純で感知の異能者がラルヴァを検知・報告するか、専用の並列処理コンピュータが全国の警察・緊急回線を傍受してその中からラルヴァであると思われるものがピックアップします。 次にローテーションで待機している異能者に召集がかかり、門 ゲート と呼ばれる転送装置によって各地に送られます。この門は基本片道切符なので帰還は異能によって行われるわ」 千晶さんの説明は続く。 「また、この派遣される異能者は戦闘要員二名と結界要員一名の三名一チームで構成されています」 そこで俺は疑問に思い手を挙げる。 「千晶さん、その結界要員というのはどういうものですか?戦闘要員は呼んで字の如くですからわかるんですけど」 「良い質問ね。宮城君。この結界要員と言うのは一般人から異能やラルヴァを秘匿するための人員なの。その手段は様々だけど本来の異能を使用する者は割と少なく主に根源力を使用した装置が用いられるわ」 「装置、ですか?」 「そう。これらは 超科学 に分類される異能者によって造られた物が殆どでほぼすべてが一品物よ」 そこで千晶さんはテーブルに手を置きこちらを向く。 「今日のところは小難しい説明はこのくらいにしておきましょう。残りに関しては簡単な資料が配布されていますから後ほどそれを参照してね。」 千晶さんが資料の束を閉じ、プロジェクターの電源を切る。 「さて、今日のところはこれでおしまい!あとは帰るだけ!その前に」 千晶さんはお腹を押さえる仕草をする。 「お腹減ったしご飯でも食べに行こっか!」 時計を見る。時刻は既に6時を回っていた。 「ヘイラッシャイ!」 屋台から威勢の良い声が響く。屋台の看板には大車輪とある。 「おっちゃん久しぶり。元気してた?」 千晶さんは屋台の大将と思われるおじさんに気軽に話しかける。 「おや千晶ちゃんじゃねぇか!ちょっと見ないうちに一層美人に磨きがかかってたんで気づかなかったぞ!」 「やぁね、おっちゃんったら相変わらず調子良いんだから」 千晶さんが少し照れるように返した。 「ところでその後ろのお二人のお連れさんは?」 「この子達は明日からこの学園に編入されるの。今日は学内の案内をね」 「なるほどねぇ。カップルで編入って訳かい!」 大将がカカと笑いながらこちらを見る。 「そっ…、そんなんじゃありません!」 相沢さんが大声をあげて否定する。事実だけどなんかショックだ。 「おっちゃんあまり若い子をいじるのはよしなよ」 千晶さんがちょっと嗜めるように言う。 「ガハハハ、スマン。このくらいの可愛い子をみるとついな。お詫びに杏仁奢るから許してくれな?お嬢ちゃん」 「そういうことなら…」 相沢さんはまだ少しムスっとしながらそう返す。 「さて、一区切り着いたし何を注文するかい?」 こうして夕食の時間は賑やかに過ぎていった。 夕飯を食べ終え三人で帰宅の路に着く。 「良い店だったでしょ?」 千晶さんが聞いてくる。 「えぇ、量も多いし味も良かったし親父さんも味のある良い人でした」 「ちょっと意地悪でしたけどね。でもあの杏仁豆腐はすごくおいしかったです!」 俺達はそれぞれ答えを返す。 「でしょう?あの店は私がまだ生徒だった頃からあのまんまでね?」 千晶さんがそう話しているとき、俺達に支給されたPDAが一斉に鳴り出した。 「一体何が」 俺達はPDAを開いて内容を確認する。そこにはこうあった。 「緊急・ラルヴァ出現警報。師走地区四丁目にてカテゴリービースト・スレッジハマーの出現を検知。近隣の生徒・職員は次に指示する経路どおりに非難をお願いします。」 「スレッジ…ハマー…?」 千晶さんが呟く。心配になり顔を覗き込むと、その表情はどんどん蒼くなってゆく。その目は焦点を見失っている。 その時、少し先の道から全高五メートル程の黒い影が出現する。近くの電柱を見る。ここは師走地区四丁目だった。 「千晶さん、しっかりして下さい!」 そう呼びかけるも千晶さんは全く反応せず地面にへたり込んでしまっていた。 黒い影はまるで怪獣映画のような効果音を伴いながら、少しずつこちらに接近してきていた。ラルヴァの歩みは遅いがこのままでは逃げ切れない。 「相沢さん、千晶さんを連れて避難してくれ!」 両手の荷物はこの際諦めるしかあるまい。運がよければ後で回収しに来よう。 「分かった!でも慧護さんは?」 「俺はヤツに向かって時間稼ぎをする!なに、この学園には他にも異能者が多く居るはずだからそれまでの間さ、大丈夫だ」 俺は相沢さんにサムズアップを返す。 「うん…。慧護さん、無事でね…」 「ああ、大丈夫だ」 俺はもう一度、相沢さんに向かって笑顔を向けたあと、近くの電柱脇に荷物を置くとラルヴァに向かって走っていった。 そのラルヴァは巨大だった。羆のような体つきに異常に発達した腕を持ち、体格は羆より二周り以上大きく五メートル以上の体高を誇っていた。 「あの腕がスレッジハマー 大槌 と呼ばれる所以か・・・」 俺はそう独り言、ラルヴァと対峙する。 そして、俺が奴の間合いに入った瞬間、その体格からは想像出来ないほど俊敏な一撃が振り下ろされた。 他の異能者が来るまでの間、それだけの間保てば良い。そう思っていたが楽観視が過ぎただろうか? 巨躯から繰り出される攻撃は無慈悲なほど強力で、その間隙も絶え間ない。 その一撃を躱すごとにアスファルトの道路が砕け陥没し、飛礫が膚を叩いて少しずつ、だが確実にダメージが蓄積してゆく。 半日間両腕に大荷物を持って移動したり、食事直後に急激な運動をしたこともあり予想以上に体力の消耗が早い。 「これはこの場で躱し続けるよりどこか広い場所に誘導した方が良いか…?」 そう考えながらも体力はジリジリと消耗してゆく。あまり考える時間は無い。 俺はタイミングを図り一気にラルヴァとの間合いを詰める。崩壊した道路に蹴躓きそうになりながら。 しかし、ここに来てスレッジハマーは今まで縦に振り下ろしていた腕を、横に薙いだ。 慧護さんが巨獣に向かって走ってゆく。心配だけど今は慧護さんを信じるしかない。 千晶さんは未だ込んだままだ。その目は虚ろで現実に焦点が合っていない様に見えた。 早く避難しないと慧護さんが命を張ってまで時間稼ぎをしてくれている意味が無くなってしまう!そう思い私はいきなりだが多少強引な手を使うことにした。 千晶さんの頬を数度、軽く平手で張りその瞳を覗き込む。 「千晶さん、聞こえますか?」 段々とその瞳に光が戻り、焦点がこちらに合っていくのが分かる。 「相…沢……さん?」 「そうです。今の状況が分かりますか?」 「えぇ…、ラルヴァが出て、それで私・・・」 半ばうわ言のように呟く。 「そうです。だから、今は避難しましょう」 そう言いながら私は千晶さんを立たせる。 「慧護さん、死なないで…」 私はそう呟き、千晶さんと一緒に避難を開始した。 「危なかった…」 まさに間一髪だった。とっさにヘッドスライディングの様に頭からダイブしてなければあの豪腕の餌食になっていただろう。 なにはともあれ奴の背後の回ることが出来た。後は思い通りの場所まで誘導できるかどうかだ。 さっきPDAに映し出された避難経路図が確かならば、この先は広場になっている筈だ。 振り返り、再びこちらを狙い始めたラルヴァに対し、俺は奴の間合いギリギリを保ちながらおびき寄せていった。 「打撃力が足りないな…」 集合場所に集まった面子を見て俺は俺はため息を吐く。 アリスから緊急の召集を受けて即応できたのは俺達三人、内一人は連絡手段しか持たないテレパスだ。 「そんなことは無いだろう、田中」 この暑い季節にコートを羽織った眼鏡の男が返す。 「相手は過去十数年に何人もの人を殺害した凶悪なラルヴァだ。油断するとお前も犠牲者リストの仲間入りを果たすことになるぞ、鷹津」 俺はそう鷹津尚吾 たかつしょうご に返す。 「いや、俺そこまで近づかないから。近接戦闘はあんたの性分でしょう」 そう言いながら鷹津はコートを叩く。 「ところで橋本、ラルヴァの動きはどうだ?」 俺はPDAで情報を収集していた橋本恵 はしもとけい に話しかける。 「はい、目標は師走地区四丁目に出現した後暫くその場に停滞して道路を破壊、その後急に進路を変え現在こちらに向かっています。」 俺はしかめ面をしながら考える。 「不可解だな…」 目標の動きもそうだがここまで被害が少なすぎる。 「あ、追加情報が入りました。目標の至近に学園生徒のGPS反応捕捉しました。どうやら誰かが交戦しているみたいです。」 橋本はこんな時でも淡々としたペースに変わりが無い。 「鷹津、狙撃位置についてくれ。ここで迎え撃つ。橋本はその生徒にテレパスでコンタクトを取ってくれ。俺は橋本を安全圏まで連れて行ってからまたここに戻る」 そう言いながら俺は橋本を抱きかかえる。こいつのテレパスは精度は高いが集中力を要し、その間一切の行動が取れないのが欠点だった。 「即、行動に移ろう。解散!」 容赦ないラルヴァの猛攻をかわし続ける。広場入り口まであと数十メートル。 そこで不意に脳内に声が響いてきた。 「CQ、CQ。ラルヴァと交戦している貴方、聞こえますか?こちらアリスの者です。返信はイメージで十分です」 やっと待ち望んだ者が来た。そう思いながら俺は返事をする。 「聞こえる。今ラルヴァを広場らしき場所におびき寄せている。あと、こちらは攻撃手段を持っていない」 「わかりました。そちらの位置はこちらでも捕捉しています。広場にこちらの異能者が二人待機しています。それまで持ちこたえてください。」 あくまでその口調は静かで淡々としている。 こっちの体力もそろそろ限界に近づいてきている。あと二十メートル。 続く二撃を躱してあと十メートル。 「十分です。後はこちらで引き受けます。隙を作りますので離脱して下さい」 また声が響く。 返事をする余裕はもう無い。 0メートル。広場に到着する。それと同時に花火の様な爆発音が響き、奴はたたらを踏む。 俺はこの隙を逃さず残った気力と体力を振り絞りラルヴァに背を向けて全力で走り出す。。 広場の中央を通り過ぎ男とすれ違う。 「お疲れさん。後は任せろ。その先の茂みにさっきのテレパスがいるからそこに駆け込め」 その男はすれ違いざまにそういう。俺はその男の言われるまま茂みに突っ込んだ。 「さて、やるかね」 俺は首を回しながら標的と相対する。獲物を取り逃がしたラルヴァはその瞳に怒りを湛えながらこちらを睨む。 そんな奴に大して俺は微笑みながらこう返した。 「おいおいそんなに見つめるなよ。照れるだろ?もしかして俺の肉体美に惚れたか?でもな、…」 その先の言葉は不要だった。奴は怒りに任せてその名の所以たる両腕を振りかざす。 俺はその攻撃を避けもせずただ見ていた。 再び発砲音が響き、大槌は空しく空を切るばかりだった。 「次はこちらから行かせて貰うぞ」 俺はそう宣言した後、目標に肉薄その脚に正拳を叩き込む。が効果は殆ど無かった。 「堅ぇなこいつ…。鷹津、AP弾を使ってくれ!」 俺は学生証に内臓された通信機能で鷹津を呼び出す。 「もう使ってる。しかし全弾ほぼ表層で止めらた。SVD ドラグノフ じゃ駄目だ。AMR 対物狙撃銃 でも無いと貫けん。」 俺は舌打ちしながらその返答を聞いている。 「やはり火力が足りなかったか…。そのまま狙撃を続けてくれ」 打撃力が足りなくても何とかしなければならない。被害を拡大させるわけには…。しかし今からだと応援も間に合わない。 「田中、お前の全力でアレと力比べして何秒あいつの動きを止めれそうだ?」 「頑張っても二十秒ってところだろうな」 俺は攻撃を躱しながらそう返す。 「…三十秒、頼む」 「わかった。トチるなよ」 俺は自身の異能・筋力増加 マッスル・ブースター を限界まで作用させ、ラルヴァの豪腕を受け止める。 恐ろしいまでの衝撃と共に脚が地面にめりこみ、全身が悲鳴をあげる。 「鷹津、後は任せた」 田中が目標の一撃を受け止め膠着状態に入る。 俺はそれを見ながら愛銃を構える。残り二十秒。 狙うは奴の眼球、およそ四センチ四方。銃身は既に熱を持って精度を失いかけている。失敗は許されかった。 スコープを覗きながらおおよその照準を合わせる。残り十秒。 残りを経験と勘で狙いを絞りトリガーを引いた。 俺は茂みから息を整えてその戦いの結末を見ていた。 巨獣の目から血が迸り、咆哮をあげる。そして徐々ににその輪郭薄めてゆく。 「逃げられてしまいましたが相手が相手ですし、撃退できただけでも上々の結果ですね」 隣にいた女性が声をかける。あのテレパスの人だった。橋本というらしい。 「あれで仕留められなかったんですか?」 俺は橋本さん訊いている。 「ええ、通常ラルヴァを退治すると幽霊の様に消えるのではなく灰となって消えてゆくのです。ラルヴァについては基本的な知識の筈なのですが…」 そこで言い難そうに言葉を切る。 「いえ、気にしないで下さい。俺、まだここに来て三日目で学園にも明日から編入なんで何も知らないも同然なんです」 「そうでしたか」 彼女は俺の答えに納得したように頷く。 「橋本とそこのアンタ、ちょっとこっちに来てくれ!」 先ほどすれ違い、ラルヴァと戦っていた男が呼んでいる。 「どうしました?田中さん」 俺と橋本さんは田中と呼ばれた彼に向かって歩いてゆく。 「あれ?鷹津さんはどうしましたか?」 「あいつはするべきことはしたし後は帰って寝るってさ」 「あの人らしいですねぇ」 「っとスマン。紹介がまだだったな。俺は大学部三年、アリス所属の田中敦 たなかあつし だ」 大柄で筋肉質の彼が手を差し出す。 「明日から高等部二年に編入予定の宮城慧護 みやしろけいご です。アリスにも所属予定です」 そう言いながら俺は差し出された手を握り返す。 「そうか、これからよろしくな。ところでこの鞄、さっきのラルヴァが消え去り際に落としていったんだがお前のか?」 そういって田中さんは白い鞄を突き出してくる。 「いいえ、違います。誰のなんでしょう?」 俺はそう返す。 「よく見ると一部に血痕みたいなものが付着してますね。もしかしたら過去の犠牲者のものなのかも知れません」 と橋本さんが鞄の底に近い部分を指差しながら言う。 「本当だな…、ちょっと持ち主には悪いが中を確認させてもらうか…」 そう言いながら田中さんは鞄の中の物を出そうとする。 「ちょっと待って下さい。さすがにここであける訳にもいかないでしょう。一旦本部に現状を報告してからにしましょう。向こうにはデータバンクに直結している端末もありますしその方がいろいろ良いでしょう」 そう橋本さんが提案する。 「そうだな…。じゃあ本部に報告頼む」 「わかりました」 橋本さんはPDAを通話モードに切り替え、報告を始めた。 それから三十分後、俺達はアリス本部施設内のブリーフィングルームに居た。 相沢さんたちには既に無事を伝え、事の次第をかいつまみ説明したあとそのまま解散することにした。 アパートの地番は受け取っているから多分大丈夫だろう。 そして、田中さんは机の上に鞄の内容物を一つ一つ慎重に取り出してゆく。 「これは…、生徒手帳兼学生証?」 俺は現在においてもオーソドックスなタイプの手帳を指す。 「みたいですね。ですがここは十年程前から現在の形の電子証を導入していますからこれはそれ以前のものでしょうか?」 田中さんが手帳を手に取り中を見る。 「持ち主の名前は岩田圭介、2007年当時で高等部一年だったみたいだな。橋本、この情報を元にデータバンクに検索を掛けられるか?」 「やってみます」 既に橋本さんは端末を弄っている。 「出ました。岩田圭介…十二年前にあのラルヴァ スレッジハマー と遭遇、殺害されています…」 俺達はただ、黙祷し彼の冥福を祈ることしか出来なかった。 私は薄暗い部屋の中、ベッドの上で足を抱えている。 もう十二年も前の事なのに未だ脳裏に焼き付いて消えない惨劇。 「もう、吹っ切れたと思ってたのになぁ…。圭介・・・苦しいよ」 その言葉は誰にも受け取られることはなく、ただ虚空に散っていった。 トップに戻る 作品保管庫に戻る
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ラノで読む その部屋は、機械音と水泡音に包まれた異質な空間だった。 天井、床、壁を無尽に埋め尽くすコードとパイプ。 脈打つすれはまるで生物の血管のよう。そして突き立ついくつもの巨大な培養槽は内臓か。 その中は溶液と水泡で満たされ、中に何があるのかは一目では判らない。 そんな密閉された中に、二人の人物がいた。 一人は、少年か。 白衣に眼鏡の長身の男。 そして机を挟んで彼に相対しているのは、少女。 後ろ髪を短く刈った、小柄な少女。彼女の視線は眼前の男ではなく、机の上に置かれた一冊の本に釘付けになっている。 革表紙に金の飾り文字の、古い本だ。 一般的にはあまり見られない、一筆書きの六芒星と不思議な象形文字が表紙に飾られている。 それは見る者が見れば、何を示しているかは判るだろう。 即ち、獣の六芒星と薔薇十字団の魔術文字である。 アレイスター・クロウリーの記したと言われるその星の下に刻まれている文字を英語に直すなら……こう読めるだろう。 【MOON CHILD】 月の子――そう、確かに記されている。 「この本で……」 少女は震える声で言う。そこに含まれている響きは、畏れか、憧憬か。あるいはその両方だろうか。 「そう、その通りです」 対して、男は誇るように言う。 「それで君の願いが叶う……判りますね? 君は生まれてきたことが罪、生まれてこなければよかったと言いましたが……それは違う。 罪を犯さなければ、償うことすら出来はしないのだから。 そして君は今此処に、償いの術を得た。あとは君の意思ひとつ……判りますね?」 「なら私は……」 本を手に取る。そして、ぎゅっ……と力を込めて胸に抱き寄せた。 「……私は!」 その声に、男は笑う。亀裂のような、あるいは三日月のような笑みを浮かべて。 「宜しい。 では聖誕祭の準備と行きましょう。君の手にした書と私の錬金術があればそれは叶う。 いざ始めよう、偉大なる――月の子の誕生を」 ごぼり、と。 培養槽の中で巨大な水泡が、その言葉に答えるかのように弾けた。 MOON CHILD 「え? なんだって、俺一人で仕事しろ? 何言ってんだくされ教師が! それでもてめぇ先生かよ!」 木々の緑がさわやかな風に揺れる中、携帯電話に向かって怒鳴る少年がいた。その大声に小鳥たちがあわてて飛び立つが少年はそれどころではなく続ける。 「俺はサポートのはずだろうが! 先輩たちは!? は? 急に他の仕事で……海だぁ!? つーかなんで電話の向こうで楽しげな声聞こえてんだ! バカンスとかじゃねぇだろうなおい! ……黙るな! もしかして最初からそのつもりかよあんたっ!?」 叫ぶ少年に、周囲を行きかう人々も奇異の目を向けるが、やはり彼はそれに気づいていないのか、それとも気にしていないのか声を上げ続ける。 「もしもし? もしもーーし! ……切りやがった、しかも着信拒否かよ!」 携帯電話を握り砕く勢いで少年は叫ぶ。 「……っ」 乱暴にポケットに携帯電話を入れ、そしてため息をひとつつく。 「……はあ。しゃーない、やるしかねぇか……」 そう言って、少年は坂道を登り始めた。その道が続く先には、ミッション系スクールの大きな校舎が見えていた。 少年の名は久崎竜朱(くが・りゅうじゅ)。 双葉学園に通う生徒である。だが、ここは双葉ではない。北陸地方の内陸部である。何故彼がそんなところにいるのか。 「……くそ、こんなことならバックレればよかった、補習」 そう、補習である。試験をさぼり赤点をとってしまい、教師に呼び出された。そして補習とばかりにラルヴァ退治のチームに組み込まれる事になったのだが…… 「押し付けかよ、聞いてねえぞ……」 木々を掻き分けながら竜朱は愚痴る。 いつもそうだった。あの教師は事有るごとに何もかもを押し付ける。自分が楽をするためならば手段を選ばない人間だった。 その裏でどれだけ自分が貧乏くじを引かされてきたかは思い出すだけで腹が立つ。 「とっとと終わらせて帰るか……」 そうつぶやきながら足を進める。 「まあ、ついた早々にラルヴァとかちあうなんてことは……」 そう言った瞬間。 「ひぃやぁあああああっ!」 女の子の悲鳴が竜朱の耳に届いたのだった。 「お約束だなオイ!」 木々を掻き分けて走る。開けたその場は、森に囲まれた閑静な広場だった。 そして修道服姿の女の子が倒れている。意識はあるようだが、腰が抜けたのか、上半身を起こして怯えながらそれらを見ている。そしてそのさらに後方には眼鏡をかけた男子生徒が倒れていた。 (ラルヴァか?) 竜朱が見たのは、二匹の獣だった。 くすんだ灰色の体毛をした、半透明の大型の獣。それが常軌を逸した赤い目を輝かせ、今にも獲物に襲い掛かろうとしていた。 「ちっ!」 すかさず竜朱は躍り出、女の子の前に立つ。 「GRUREAAA!」 獣が吼え、竜朱に襲い掛かる。だが竜朱はその繰り出される爪を最小の動きで避わす。 頬の皮が裂け、血の飛沫が飛ぶ。だがそれだけ。そして竜朱はその両手で二体の獣の顔面を掴んでいた。 (人狼……いや違うな、狼型人工精霊(エレメンタリィ)か) 竜朱はその正体を看破する。 魂源力によって組み上げられた擬似霊魂体。古くはこの国では式神や式鬼と呼ばれた、魔術・呪術によって作られる人造のラルヴァだ。 (命令を受け行動している……訳ではないな、暴走している。なら仕方ない) そして竜朱は、その腕に力を込める。 思う。ただ思う。その意思はコマンドとなり、人工精霊たちに強制的に命令を下す。すなわち―― 「砕けろ!」 魂源力を送り込む。意思によって組み上げられた擬似霊魂体を、より破壊的で傲慢なひとつの意思が塗り替える。 ただ一言の暴圧的な意思を送り込まれた狼たちは、悲鳴を上げながらのた打ち回り、そして紫電を上げながら――崩壊した。 「今見たことは忘れろ。とるにたらない、どこにでもある心霊現象だ」 竜朱は少女を見下ろしながら言う。 「どうせ他人に話しても馬鹿にされるだけで……」 しかし竜朱の言葉は最後まで続かない。 「かっこ、い――――――――――――っ!!」 そう少女は叫び、飛びつく。その体当たりに竜朱は思わずたたらを踏む。 「お、お前腰抜けてたんじゃなかったのか?!」 「やだもう、腰がどうのなんて破廉恥えっちーぃ!」 「破廉恥なのはお前の思考だ!」 「ていうか今の何ですか、こう掴んで光ったらずばーんっ、て!」 「人の話を聞け!」 「私ですか私は西宮浅葱(さいぐうあさぎ)っていいます!」 「聞いてねえ!」 二重の意味で聞いていなかった。 数分後。 竜朱は浅葱と名乗る少女を落ち着けさせ、倒れていた男子生徒も起こしていた。 本当はとっとと去りたかったのだが、浅葱がそうさせてくれそうになかったから仕方なく、である。 「つーかナベっち、ひ弱っ」 浅葱は男子生徒に向かって言う。 「ナベっちではなく田辺ですって。というかですね、あ、あんな化け物をやつつけられるほうがおかしいんです! ……あなた、何者ですか」 田辺は眼鏡を指で持ち上げながら、猜疑心を丸出しにして問いただしてくる。 ……これだからとっとと去りたかったのだが、と竜朱は思うが後の祭りだ。これが、双葉学園の外の一般的な普通の人間の対応である。それは仕方ないしそれに対していちいち傷つくような繊細な心は持ち合わせていない。ただ、後々面倒になりかねんと煩わしいだけだ。 「さあな。どこにでもいる魔法使い、って所だ」 だからあえて適当にはぐらかす。 「ふん、怪しいですね。そもそも魔法使いなんていうものは、現実と妄想の区別が付かない愚か者か、あるいは子供を騙す詐欺師かのどちらかで……」 「じゃあ私騙されたいでーすっ! むしろ騙してっ!!」 そして浅葱が、その一触即発の空気をぶち壊す。 「……」 「……」 竜朱と田辺はそろってため息をついた。 「……まあいい。ところで校長室はどっちか、教えてくれないか?」 頭をぼりぼりと掻きながら、竜朱はそう言った。 校長室は、普通の校長室だった。ミッション系スクールといっても、どこからどこまでも教会チック、というのではないようである。精々が十字架や聖母像を飾っている程度だ。 だがその聖母像に竜朱は気づく。 「……黒い聖母。この学園は隠れて女神信仰を教義にしてるのか?」 黒い聖母。そう書くと不吉な響きを持つが、何の事は無い異教の女神、イシスやアテネなどをマリア像としてカモフラージュしたものだ。古い秘教信仰は、そうやって現在も生き続けている。 その竜朱の言葉に、校長は笑う。 「いや、あくまで私や、数名の私の同胞だけだよ。そうだろう、兄弟(フラター)」 「……」 その言葉に竜朱は頭を掻く。 「くそ、先生の同類かよ」 「同胞、と言い換えて欲しいね。彼女は元気かね」 「元気も元気だよ。今頃は仕事を俺に押し付けて海でバカンスのまっ最中だとよ」 「それはなにより」 「皮肉だよ! ああくそそーいうの通じないところまで同類か!」 竜朱は深呼吸をひとつし、気を切り替える。 「……やってきていきなりあれかよ。大丈夫なのか」 竜朱は人工精霊の件について話す。 「なに、閉鎖された教会やミッション系スクールではよくある集団ヒステリーだ。」 校長は笑顔で言った。 古くより、閉鎖された教会などではよく修道士や修道女が「悪魔」を視、騒霊現象が多発するという。それは集団ヒステリーによる共有幻想である、と心理学などで説明されている。 抑圧された心理による共有された妄想、その影響下ではどのような幻覚を見たとしても不思議ではない……そういう理屈だ。 そう、表向きは。たとえそこにどのような異能やラルヴァがかかわっていようと、表の世界ではそういう「もっともらしい理屈」で説明づけられるのだ。 「……それで済めばいいんだがな。で? 俺たちが呼ばれたのはあれの退治のため……じゃないんだろ?」 「ああ」 「だよな。あれは魔術で編まれたものだ。暴走か何か知らないが、あの程度ならあんたらでもどうとでも出来るはずだろう」 「いや無理だ」 「無理なのかよ!?」 あっさりと言う校長だった。 「私たちは荒事に向かないのだよ」 「威張るな威張るな……」 「まあ話を戻そうか。今回、我らが双葉学園に依頼をしたのは、だ。我々の学園で起きたとある事件……といってもそこまで表ざたになってはいないのだが、その事件にラルヴァが関わっている疑いがあるのでね」 「疑い、かよ……」 「君子危うきに近寄らずだよ。正直、私たちは一般人に毛の生えた程度の力も無いからね。視て、感じて、学べる程度だ」 「嘘吐け」 竜朱はあっさりとその言葉を否定する。 「……まあいい。それでその事件というのは、だね。魔術書の紛し……盗難事件だ」 「今紛失とか言わなかったか?」 「気のせいだ。君の聞き違いだ。図書室に秘蔵してあった魔術書のひとつが何者かによって奪われたのでね。この学園から持ち去られていない事はわかるのだが……」 「だったら生徒が間違えて迷い込んで普通に持って帰っただけじゃないのか? それなら問題ないだろ、魔術書なんて暗号化されてて普通の人間にはあやしげな本以上のものじゃない。寓意化や比喩、そしてカバラ暗号術の文字置換法(テムラー)、数秘法(ゲマトリア)、省略法(ノタリコン)によって隠された秘術を学生程度に解き明かせるとは……」 「そうだな。だがそもそもその図書館自体に幾重もの結界が張ってあった。間違えて迷う込むことは無い、意図して進入しない限りは。つまり……」 「なるほど。資格は十分、悪用するつもり満々、ってことか」 「配置しておいた人工精霊も見事に破壊されていた。あるいは君が始末してくれたように、暴走させられた。そうなるともう、私らは荒事に向いていないのでね」 「……わかった。そういうことなら引き受けるしかないな、俺にしか出来ないことだ」 そうため息ひとつ、校長室から出て行く竜朱。 それを見届けた後、校長は電話をかける。しばらくして、相手が電話を取る。 「――ああ、私だ。 君の言ったとおりだよ。嗅ぎ付けて動いたようだ、迅速に済ませねばならんね。 彼をどうするか……か。それは私の権限ではないよ。君に一任する。最初からその手はずだろう? 勘違いしてはいけない、私には権限などない。ただお願いするだけだ。ああ、よろしく頼む。 計画は……」 そして同時刻。 浅葱と別れた田辺もまた、携帯電話を手にしていた。 「ええ、計画は前倒しに。 邪魔される訳にはいきませんからね、これは我々の悲願ですから。 月の子の誕生は――目前です」 そう言って、田辺は笑った。 「さて……どうするか」 竜朱は校舎内を散策する。 今日は休日だ。一応、校長からここの制服を借りたので自由には動けるが、しかしなるべくなら早く済ませたい。 そのとき、見覚えのある人影を見かける。修道服姿ではないが…… 「お、えーと、浅葱だっけ」 竜朱は声をかける。だが振り向いたその少女は、何かが違っていた。雰囲気というか、何かが。 「あ、いえ違います。妹の浅葱です。ええと……竜朱さんでしたよね? お姉ちゃんから聞いてます」 「……妹さんなのか。さっき道案内してもらったからついでにまた頼みたいと思ったんだが……」 「じゃあ私が代わりに……私でよければ、ですが」 「頼む。ここの図書室がでかいと聞いたから」 「はい」 数分後。 図書室に案内された竜朱は、萌葱に霊を言うと奥へと踏み入った。 (この匂い……香を微かに炊いている。それに響く音楽、そしてこの色彩の使い方……なるほど、認識をずらすカモフラージュか) 竜朱は異変に気づく。これは魔術的に偽装されたものだ。校長が言っていた結界の一部だろう。 それを踏み越え、竜朱は目的の場所へと着く。 古臭い本が並べられている部屋。 その本棚を慎重にチェックする。 「奪われた書は……ここか。GD系の……クロウリー著作の魔術書……また癖のつよい所を……」 竜朱はため息をつく。アレイスター・クロウリー。熱狂的信者と同時に仇敵を多く作ったその魔術師の残した魔術は、今も人を惹き付ける。特に黒魔術的な危ういモノを好むものたちに。 そう言いながら本をチェックしていると、並ぶ本の上に置かれていた本が手に当たり、落ちる。 「……と、落としちまった」 竜朱はそれを拾う。題名には、人工精霊トゥルパ創生の書、と書かれていた。それを本棚に戻し、そして探し始める。 「あった、この位置だ。ここにあった本は……」 本棚に記されているラベルを竜朱は読み上げる。 「……ムーンチャイルド」 夜。竜朱は校長に割り当てられた部屋に泊まっていた。 机の上にメモや書類をぶちまけて熟考する。 「昼間調べたことをまとめてみようと思ったが――よくわからん。 ムーンチャイルド……20世紀最大にして最悪の魔術師と呼ばれたアレイスター・クロウリーの考案した魔術。あれがここで行われている? バカな。ここは学園だ…… 妊婦の胎児に魂が宿る前に陣を敷き、惑星霊や天使を降ろして超人を作るというホムンクルス創造の大儀式に、未成年ばかりが集まる学校ほど似合わない場所も無い。双葉学園のような学園都市なら別だが……ここは小さく狭すぎる。 いや発想を変えるか? だからこそ、子供の火遊びの始末をした後の胎児を調達するために……いやそれもどうだ。よくある低俗な黒魔術と違い、母体ごと新鮮で元気な子供が必要だ、下ろした胎児の死体じゃ意味が無い」 竜朱は昼間のうちに聞き込みなどで調べた資料を机に並べて睨む。 「そもそもここはミッション系だ、そういう噂は調べた限りでは無い。抑圧されているからこそ水面下で、というパターンもあるだろうが……逆にそういう堕胎の手段があるならば水面下でこそ噂になって、容易に調べがつくはずだ」 人の口に戸は立てられぬと言う。後ろめたさと、そしてそれを都合よく救ってくれる希望、それが都市伝説や噂話を作り上げる。だが、そういうものは竜朱の調べた限りは無かった。 (噂……か。噂といえばもうひとつ――) 竜朱は思い出す。あの姉妹の噂も耳に入った。 (浅葱、萌葱の姉妹。仲が悪いのではないか、二人一緒にいる所を見たことが無い――という話を聞いた) 朝、自分を校長室に案内してくれた少女、そして図書室へと案内してくれた少女。双子の姉妹。 (取るに足らない他人の家庭の事情、それだけのはずが何か引っかかる……確かに俺も二人一緒に見てはいないが。 だが妹のほうの言動からは仲の悪さは感じられなかった。一緒にいる姿を見ないほどに仲の悪い姉妹が、案内しただけの男の事を話題にするか? ……考えにくい。 だがそれならば何故、二人一緒にいない。いれない理由でもあるのか?) そこまで考えて、竜朱は頭を振る。 「くそ、考えが横にそれる。今はムーンチャイルドの事だ」 頭をがしがしと掻き、背を伸ばす。 「……情報が足りないな。一日じゃ無理だ。休日の今日に片付けておきたかったが……となると明日か。明日は月曜、生徒も増える。そこで改めて……か。 仕方ないな。寝る前に散歩しておくか」 竜朱は月光の下、静謐な夜の空気を胸いっぱいに吸う。 男子寮の中庭は静かだった。 「……流石はミッション系、ってところか」 周囲は森林に囲まれ隔絶されている。ここは一種の異界だ。校長が魔術師でありどこぞの結社に絡んでいる以上は納得も出来るが、それにしても静かで、空気も澄み、まるで妖精郷を思い起こさせる。もっとも、陽光の下で花畑の中に妖精が舞う世界ではなく、むしろ森の闇の中の、恐怖と安寧が背中合わせの静寂の世界だ。 「……?」 ふと。 竜朱の目に何かが留まった。 「魂源力の残滓……?」 周囲を見回す。そう、ここは今朝、竜朱が人工精霊を破壊した場所だった。 「残骸か……いや、違う」 目を凝らす。 そこに。微かな、糸のようなモノが視えた。 「完全に潰したと思って考えにも入れてなかったが……そうか、犯人によって操られていたと言うのなら、繋がってる糸が……そこをたどれば」 完全に灯台下暗しだった。だが後悔も悔恨も竜朱の主義ではない。 竜朱は注意深くそれを辿っていく。森へと入り、木々を掻き分けていくと、開けた場所に出る。そこには小さな洋館があった。 「……怪しいな」 そう言って、竜朱は無造作に扉を開ける。錆びた蝶番が軋んだ音を立てる。 「……地下秘密基地、か。おあつらえむけの、いかにも……だな」 そして竜朱は、地下への階段を下りていった。 黴のすえた臭いと鉄錆、そして腐臭が混ざった空気が竜朱の鼻を刺激する。 「……嫌な空気だな。それに……魂源力の気配が濃密でこれ以上は」 糸を追う事は出来そうにない。だがここまでくればこの先に何かあるのはもはや決まりだ。 あとはその前に…… 「おい」 竜朱は声をかける。背後に。 「尾行ならもっと上手にやれ。足音を消せていない息も殺せていない、見つけてくれといってるようなものだ」 その竜朱の声に、 「すっごーい、やっばりこうなんというか、野生の勘ってやつですか!?」 「静かにしろバカ!」 西宮浅葱が大声で感嘆した。竜朱はあわてて手で浅葱の口をふさぐ。 「……口を塞ぐなら、男の人らしく唇で塞ぐのもアリと思うんですけど」 「このまま息の根止めるぞコラ」 半分本気で竜朱は言った。 「……というか何でお前はここに」 「いや、寝付けないので散歩してたら、おにーさんがなんか神妙なツラしてるからついつい気になって……これって恋?」 「変だ」 「ひどっ!? 漢字にすると似てるけど口に出すと一言も合ってねぇ!?」 大げさに嘆く浅葱を軽くスルーしておく。 「しかしなんかこんな所あるなんてすげーですよね!」 「そうだな」 「これはすげーですよー……地下になにがあるのか! はっ、もしかしておにーさんはそれを調べるためにやって来た秘密のシークレットなスパイとか!」 「違う。あと秘密とシークレットで重複してるぞ」 竜朱は苦笑し、言う。 「まったく、お前は本当に騒がしいな、萌葱(・・)」 「はえ? やだなー、私は萌葱ちゃんじゃなくて……」 「いや、合ってるよ。西宮萌葱」 その静かな言葉に、少女は止まる。 ただ無言。その沈黙が何より雄弁に語っていた。竜朱の言葉は正しい、と。そして竜朱は続ける。 「ああ。普通の学生である西宮萌葱、そして教会のシスターである西宮浅葱……同一人物だったとはな。 なるほどその設定なら……二人一緒に姿を見ない事への理由はつけられる。 そんな手の込んだことをしている理由は知らないが、演技は実に上手かった。いや、違うな。上手すぎたんだ」 「?」 「そう、お前は上手すぎたんだよ。まるで本当に、もう一人の人格として「西宮浅葱」を作っているかのように。俺が感じた妙な違和感、気にかかった理由はそれだ」 「……そう言ってくれると嬉しいです。私の中におねえちゃんが生きている、ってことですね、それ」 口調を先ほどまでの明るく喧しい「浅葱」から「萌葱」へと戻し、萌葱は言う。 「……その言い方。姉は……」 「はい。私には、生まれることが出来なかった双子の姉が……いたんです」 「それで一人二役……か」 「はい」 萌葱は話し始める。自分の過去を。 「そのせいで、母は心を病んで――いもしない姉に、「浅葱」に話しかける。だから私はそれを本当にするために、嘘を付き続けるしかなかった。姉は、西宮浅葱はここにいる、って。 だから私はずっと思ってたんです。私は生まれないほうがよかったんじゃないか、生まれてきたのが私みたいな暗くて駄目な子じゃなくて――母が求め、私が演じてきた、明るい西宮浅葱なら……って。 そしてそんな時に、あの本の話を聞いて……私は。 これなら、再び姉を生まれ直させることが出来るんじゃないか……って」 「待て、萌葱。お前は勘違いしている」 竜朱はあわてて言う。 「誰から何をどう聞いたかは知らないが……あれはそういうものじゃない。 あれは胎児に魂が宿る前に結界を敷き、封じ……そして天使や惑星霊などを召還し降ろし受肉させて人為的に超人を作るという、狂った発想の魔術儀式だ。思い通りの人間を造るようなものでもなく、なによりも成功例は報告されていない」 だが、萌葱は言う。 「ええ、知っています。知っているんです」 「……お前」 その静か過ぎる雰囲気に、口調に、竜朱は不吉なものを感じる。 「その方法では、確かに姉は戻りません。私が望むのは天使でも惑星霊でもない。だけど……でも」 萌葱は足を進め、そして扉を開く。 「私の細胞から作り出したクローン人間に……その「月の子」の発想を使い、アレンジして……死んだ姉の魂を召還して受肉させたなら?」 その部屋は、機械音と水泡音に包まれた異質な空間だった。 天井、床、壁を無尽に埋め尽くすコードとパイプ。 脈打つすれはまるで生物の血管のよう。そして突き立ついくつもの巨大な培養槽は内臓か。 その中は溶液と水泡で満たされ、中に何があるのかは一目では判らない。 その中の巨大なひとつに―― 「浅……葱?」 培養液の中にたゆたう、少女の姿があった。 「そうだよね、お姉ちゃん。いままでずっと待ってたけど、ついに……この時が来たよ」 「お前……何を。何をたくらんでいる!?」 竜朱が叫ぶ。だが次の瞬間、周囲の機械から気体が噴出される。 「……! これ、は……ガス……!?」 気づいたときには遅かった。視界がぶれる、膝に力が入らなくなる。 「見事に……餌に食いつきましたか」 部屋の奥からの足音と声。田辺の嘲笑を聞きながら、竜朱は倒れ伏した。 「よくやりました、西宮くん」 「……はい」 「これで邪魔者は大人しくなる。ですが彼のようなものが来たということは、感づかれている。儀式を早く完成させましょう」 「でも……」 「大丈夫です。彼女の成長は予想以上に進んでいる。毎日毎晩、君が彼女に熱心に話しかけたのが幸いしているのでしょうね。 そう、準備は整った……いよいよです」---- トップに戻る 作品保管庫に戻る
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ラノで読む 斉藤《さいとう》加奈子《かなこ》は悩んでいた。 「また二キロも増えちゃった……」 風呂上り、体重計のメモリを見てため息をつく。最近運動を怠り、間食が多かったせいか、体重が増えてしまった。加奈子は自身が思っているほど太っているわけではなかったが、モデルに憧れているためほんのわずかな体重の増加にも過剰な反応を示してしまっているようである。 加奈子は自分の腹をつまみ、このままじゃダメだと決意を決める。 ダイエットをするんだ。今年こそちゃんと痩せて、夏には可愛い水着が着られるようにならなくちゃ。そうすればきっとスカウトだってされるかもしれない。 異能者でもない自分がこの学園にいても華々しい活躍は期待できない。芸能界に行って楽しい将来を送るのだ。そのためにも自己の肉体管理はしっかりしなくちゃいけない。 しかし、それから様々なダイエット方法をためしてみたものの、加奈子の満足のいく結果は出なかった。 「はあ。どうしてなんだろ。やっぱりすぐ飽きちゃうのがいけないのかなぁ」 ある日の朝、登校した加奈子は教室の机に突っ伏して肩を落とす。自分の性格にとことん嫌気がさしているようだ。 バナナダイエットもにがりダイエットも寒天ダイエットもどれもダメだ。運動するダイエットはすぐ疲れてしまってやる気が出ない。元来怠け癖のある加奈子にはダイエットなんて無理なのだろう。 だがそれでも加奈子は「簡単にダイエットできる方法」を模索していた。 いっそ痩せる異能でもあれば……そんな都合のいい妄想もしてしまう。 「ねえ大変だよ加奈子! ちょっと来て!」 加奈子がぼんやりとしていると、友人が彼女の手を引いて廊下へと引っ張った。今は仲間内でバカやっている気分じゃないのに。そう思いながらも友人との関係を無下にもできずに、彼女は廊下へと出て行った。 「あれよ、あの子見て」 友人が指差したのは、登校してきて廊下を歩いている一人の女子生徒である。 その女子生徒は、驚くことに凄まじく痩せ細っていた。 頬はげっそりとこけ、手や足はマッチ棒のように細くなっている。顔色は悪く、足取りは妙にふらふらしていた。 「なにあの子。大丈夫なの?」 「大丈夫じゃないわよ加奈子。だってあの子W組の岸本《きしもと》早苗《さなえ》さんだよ」 「え? 早苗? W組の!? 嘘よ!」 廊下の角で女子生徒を覗き見していた加奈子は思わず驚きの声を上げてしまい、慌てて口を両手で塞ぐ。 加奈子の知っているW組の早苗と言ったら、まるで肉まんのように丸々と太った女の子だからである。 加奈子が一番嫌悪しているタイプである。 醜く肥え太った女。それだけには絶対になりたくないと思っていた。 その太っていた早苗があんなに痩せ細っているとはどういうことなのだろうか。加奈子は好奇心と羨望を彼女に抱き始めていた。 「絶対変よねあれ。やばい薬でもやってるんじゃないのかしらね」 友人は小声でそんなことを言っていたが、加奈子の耳には届いていなかった。ただなぜ早苗が痩せたのか、それだけが気になっているようだ。 その日の放課後、加奈子は下校しようと学園敷地内を歩いている早苗に接触を図った。 「なあに斉藤さん。わたしに話なんて、珍しい」 早苗は生気の無いような虚ろな瞳で加奈子を見つめた。こうして早苗と話をするのは初めてであったが、人見知りしている場合ではない。 「ねえあんた。なんでいきなりそんなに痩せたの?」 「さあ。なんのことかしら」 加奈子は単刀直入に切り出したが、早苗はあっさりと誤魔化した。加奈子は腹が立ったが、ここで掴みかかっても仕方がない。 「お願いよ! 私も痩せたいのよ。あんたが痩せた方法を教えなさいよ! ううん、頼むから、お願いですから!」 加奈子がぱんっと両の手を合わせて頭を下げると、早苗は「仕方がないなぁ」と言わんばかりに嫌な顔をして、ポケットからメモ帳を取り出した。 「わかったわ。あなたにだけ教えてあげる。住所を書くからそこに行ってきてね。わたしが直接話すより簡単だわ」 「ありがとう早苗! 恩に着るよ! 友達になろう! 今度メアド交換しようね!」 加奈子は適当にそんなことを言い、早苗のメモをひったくってその場を後にした。 住所の記された場所には高層マンションが建っていた。 『象牙の塔』という大層な名前のついたそのマンションの入り口をくぐり、加奈子はその最上階のとある部屋を目指した。 扉の前に立ち、緊張して高鳴る胸を押さえて、加奈子はブザーを押す。 ピンポーンという軽快な音が響いた数秒後、インターホンから声が聞こえてきた。 『どちら様?』 それは若い女の声だった。相手が男だったら部屋で二人きりになるのは嫌だなと思っていただけに、少しだけ加奈子は安心したようである。 「あ、あの。私斉藤といいます。早苗さんにあなたのことを紹介してもらったんですけど……」 恐る恐るそう返事をすると、 『……入りなさい』 という声と共に施錠が開けられる音が聞こえた。加奈子はノブに手をかけて扉を開き、部屋の中へと足を踏み込んだ。 部屋には異様な光景が広がっていた。 真っ黒なカーテンで窓は閉め切られて薄暗く、数本の蝋燭の火だけが辛うじて周囲を見渡せるほどに照らしている。部屋の中には髑髏やヤギの頭、蝙蝠の剥製といった悪趣味なものが飾られていて、本棚にはBL本が並べられ、魔改造されたフィギュア類が所せましと置かれている。 そんな混沌とした部屋の中心に一人の女性がいた。 その女は黒いとんがり帽子を被り、黒いドレスを身に纏っている。さながら“魔女”のようだと加奈子は思った。 魔女はベージュ色の椅子に腰をかけていた。いや――と加奈子は目を疑う。魔女が腰を下ろしているのは椅子ではない。 「ひい! な、何してるんですかこの人!」 魔女の尻の下にいるのは人間だった。パンツ一丁の若い男が四つん這いになり、自らの肉体を椅子にしていた。半裸のその椅子男の顔にはガスマスクがはめられていて顔は見えないが、犬用の首がつけられ、そこから伸びる鎖は魔女の手が握っていた。しかもそれは一人だけではなく、それぞれ座面担当、背もたれ担当、ひじ掛け担当が二人で計四名の人間椅子が気色悪くより集まっている。 「ああ、気にしないでちょうだい。この子たちはあたしのペットなのよ。あたしに貸しがある癖にお金が払えないっていうんだから体で支払ってもらってるの」 魔女は紫色の唇を歪めたが、それは笑っているというよりもどこか不気味さを感じさせる表情であった。 「あの、岸本早苗さんが痩せた理由を、あなたが知ってるって聞いて……」 「ふうん。岸本、早苗ね……ああ、あの“ぽっちゃり”とした女の子のことね。覚えてるわよ」 魔女がそう言うのを聞き、加奈子は早苗の言っていたことが本当だったと歓喜した。早苗は病気か何かでああなったわけではなく、この目の前の魔女によって痩せるための手助けを受けたのだろう。 「私も早苗みたいに痩せたいんです! お願いします! 私にも痩せるための秘訣を教えてください!」 加奈子は魔女に頭を下げる。ちらりと窺うように魔女の顔に目を向けると、彼女はしばし考え込むようにして長い爪にマニキュアを塗り始めていた。 「ううーん。別にいいんだけどねぇ。あんた、お金はあるの?」 「え? あ、あのいくらですか?」 「あの子には十万で譲り渡したわ、アレを」 「アレ?」 加奈子が頭にクエスチョンマークを浮かべている間に、魔女は机の引き出しからとあるものを取り出した。 それは小瓶だ。 真っ黒な色をした小瓶で、中に何が入っているのか一切わからない。 「なんですかそれは?」 「これが早苗とか言う子にあげたものよ。これがあれば貴女も痩せることができるわ」 「本当ですか!」 加奈子は咄嗟にその小瓶に飛びつこうとしたが、ひょいっと魔女は手を引っ込めた。 「ああ!」 「誰もタダであげるとは言ってないわ」 「でも私十万なんて大金……」 持っているわけがない。小遣いを貰えばすぐ浪費してしまう加奈子には貯金すらなかった。いや、売れるものならいくらでもある。 「大丈夫です。服でも鞄でもいくらでも売ってお金にしますから、それを私に下さい」 「そう。ならいいわよ。代金は効果があったら時に後払いしてくれればいいわ」 意外にもあっさりと魔女はそう言って小瓶を加奈子に手渡した。 「これ、|それ《・・》の使い方が書かれてるから」 ついでに取扱説明書のようなメモ帳を加奈子に握らせて、魔女はくいっととんがり帽子のつばを上げた。 「取扱説明書をよく読み、用法、使用上の注意を守ってお使いください。それじゃあまた会いましょう」 魔女は最後にそう言って、加奈子はマンションを後にしたのであった。 アパートの自室に帰った加奈子は、すぐさま鍵をかけて閉じこもった。 使用上の注意その1。蓋を開ける際には光の無い空間で行うこと。 その言葉に従い、加奈子は雨戸を閉め、電気を消して一切の光源を遮断する。ポケットから魔女の小瓶を取り出し、その蓋を開けてみる。 そうして瓶を覗き込むと、奇妙な光る物体が中に入っているのが見えた。 「わあ、すごい」 その光る物体は瓶の中からゆっくりと出てきて、ふらふらと部屋の中を浮遊し始めていた。加奈子は蓋を開ける前に読みこんだ取扱説明書の内容を思い出す。確かあの光に触れればいいのだ。 「触るのね、これに」 加奈子はおっかなびっくりにその光に両手を伸ばし、包み込むように挟み込んだ。 するとその瞬間、激しい疲労感が加奈子を襲った。マラソンでも走った後のような体のだるさと、空腹感が全身を襲い、立っていられなくなって膝をついてしまった。 「はあ……はあ……」 これは辛い。だがその分効果はありそうだと加奈子は思った。 使用上の注意その2。光の玉に光を与えてはならない。使用が終わったら遮光性の瓶の中に仕舞うこと。 その通りに光の玉を瓶に再び封じ、加奈子は体重計へと向かった。 その結果、体重は五キロも落ちていた。 「すごい! やった! すごい! うわあああああああ!」 加奈子は飛びあがって喜んだ。これを使えばどれだけお腹いっぱい食べても、どれだけ運動を怠けても太らないではないか。これさえあれば体重管理なんて簡単だ。 取扱い説明書によると、この光の玉は触れた人間の生気を奪い取り、一時的な栄養失調にさせるものだという。 なんて便利なものがあるんだろう。 それから加奈子は毎日のようにたらふく食べた。 今まで抑えてきた食欲を発散させるように食べに食べた。 体重が増加する度にあの光に触れ、体重を減らしていったが、次第に光が彼女の生気を奪うよりも、彼女の体重の増加のほうが勢いを増して追いつかなくなっていった。 一ヶ月が過ぎるころには加奈子の食欲が上まって、あの光の玉一つだけでは加奈子の体重を消化できなくなってしまっていた。 そして加奈子は再び魔女に会うために、高層マンションへとやってきていた。 「魔女さん! もっとあの光の玉を私に下さい。あれ一つじゃ全然足りません!」 そう言う加奈子に呆れたような視線を向け、黒衣の魔女はため息をついた。 「あれで足りないなんてどういうことなのかしらね。早苗って子でも一つで事足りたのに。貴女は本当に豚みたいな女ね。いや、そう言っちゃ豚に失礼だわ」 「酷い!」 魔女の心無い言葉に傷ついたが、魔女の言うとおり加奈子の体重はここに来る前よりもむしろ増えてしまっているように見える。 「金払いのいい貴女に力を貸してあげたいのはやまやまだけれど、生憎とアレはもう品切れなのよね。入手するのも相当苦労したし、再入荷の予定は無いわ」 「そ、そんなぁ……」 加奈子は絶望してその場に崩れ落ちる。一つだけじゃもはや加奈子の暴食を抑えることはできなくなってしまっていた。もう前のような食生活に戻ることも難しく、さらに食欲はエスカレートしていくだけだろう。 太る。 また太ってしまう。 そんなのは嫌だ、絶対に嫌だ。 せっかく綺麗になれるチャンスなんだ。 私の将来のため、モデルになるためにアレは必要なんだ。 加奈子は一度手に入れた物を手放したくなかった。アレさえあれば自分は一生体重に悩まされることはない。 「そうね……たった一つだけ、アレを増やす方法があるわ」 「え? ほんとですか? 教えてください!」 食い付く加奈子にふっと魔女は試すような目を向け、その唇を彼女の耳元へと近づける。そしてある一つの方法を彼女に告げた。 「そ、そんなこと……」 その方法に唖然としながら、加奈子は魔女の言葉を反芻する。 「言っておくけれど、お勧めはしないわ。あとは自己責任で頼むわよ。あたしに迷惑かけないで頂戴ね」 魔女はそう言い加えて、加奈子を帰した。 その後、加奈子はマンションの自動ドアをくぐり、携帯電話を取り出す。 数秒間戸惑った後、加奈子はとある人物に電話をかけた。 「あ、もしもし早苗? あのね、同じ悩みを共有する同士、少しだけ話したいことがあるの。私のアパートまで来てくれる? 場所は――」 ※ ※ ※ 「ユキ姉、新聞受けに新聞溜まり過ぎじゃないか」 夏目《なつめ》中也《ちゅうや》は高層マンションで一人暮らしをしている姉の雪緒《ゆきお》の所へ、掃除をするために定期的にやってきていた。 自炊能力の無い雪緒を放っておくと、せっかくいい部屋に住んでいてもすぐにゴミ屋敷になってしまうからだ。 中也は取り出した今朝の双葉区新聞をなにげなく広げてみた。目に留まった小さな記事にはこう書かれている。 『双葉学園の生徒二名死亡。昨日の正午過ぎ○×アパートの一室で双葉学園の女子生徒KとSが死亡しているのが発見された。Sは死後数日経っており、遺体は腐ってしまっていて死因の断定が難しく、Kはミイラ化した状態であった。第一発見者の管理人は部屋を開けた時には数千匹の蛍が部屋に浮かんでいたと証言していたが、警察が到着する頃には何も残ってはいなかった』 くだらない記事ばかりだなと中也は新聞を投げ捨て、煙草をくゆらせながらアニメを視聴している雪緒に、気になっていたことを尋ねてみる。 「そう言えばユキ姉。この間ラルヴァを二匹手に入れたって言ってたよね。小瓶の中に封じ込めたって。それって何のラルヴァ?」 雪緒は煙草の煙を大きく吐き出し、こう言った。 「死出蛍よ」 おわり 怪物記第一話に出てきたラルヴァをお借りしました。 ありがとうございました。 トップに戻る 作品保管庫に戻る トップに戻る 作品保管庫に戻る
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ラノで読む 【海辺にて】 「今日から私も中学生なのだ……」 季節はもう春だとはいえ、陽も昇り始めてまだ間もない早朝、しかも強い海風の吹きこむ浜辺はまだ肌寒く、少女は両手をコートのポケットに突っ込み、首を縮こめ海岸を歩いていた。 始業式の開始まであと二時間半。 「もう初等部の御鈴お嬢様ではない。私はおとなのれでぃになるのだ。なぁ白虎」 「うなー」 少女は、肩に乗せた白い小さな虎猫のような生き物に声をかけ、厚底ブーツで歩きにくそうに浜辺を進んでいく。 幼いころから、人の上に立ち世のため人のために尽せるような、誰からも愛されるような優しく強き者になるべしと教えられてきた。 「……やはり、おとなのれでぃになるためには、何か大きなことをしたいものだな」 思慮顔のまま両腕を組み前を見据え「むむむ……」と声をあげる。肩の白い虎猫のような生き物が少女に頬ずりをすると、 「白虎よ、お前はいつものんきでいいな」 白虎と呼ぶそれの頭を軽く撫でてやる。白虎は目を細めると再び「うなー」と鳴いた。 特別ここに用があるわけでもなかった。ただ遠足前日のようになかなか寝付くことができず、朝も空が白みだす前から目が冴えわたってしまった。 シャワーを浴び、真新しい中等部の制服を纏うと居ても立っても居られず、少女は日の出とともに家を飛び出した。 しかしこのまま直接学園へと向かっても、数時間は待ちぼうけになってしまうだろうと、少女は思い立ち、海岸へと足を運んだ。 東京湾に浮かぶ双葉区は全域が埋立地によって作られているが、少女の歩く海岸は人工的とはいえ数キロに渡り砂浜が設けられていた。夏にもなればそこかしこに海の家も建ち並び、たくさんの海水浴客で賑わうことだろう。 「……ん?」 ふと、人気《ひとけ》のない海岸沿いの何百メートルか先に打ち上げられてるピンク色の塊が視界に入り小さく声を洩らす。 すると、肩に乗せていた白虎が飛び降りると、それに向って急に駆け出した。 「なっ、待て! どうしたのだ白虎っ」 厚底ブーツで足をもつれさせながら、少女も白虎を追い走り出す。 徐々に近づくそれを見ながら……少女の背筋に悪寒が走った。 「……人、だと!?」 海岸に打ち上げられていたそれは、ピンク色の服を着た人の姿だった。 「やはり人だ! 急ぐぞ白虎!!」 「うなー!」 少女は足を速めその人影に駆け寄ると、肩を抱きあげ小さく揺さぶる。 「おいっ、大丈夫か! しっかりしろ!!」 それは少女と同年代の、ピンク色のパジャマを着こんだ女の子だった。文字通り海岸に打ち上げられたのだろう、全身ずぶ濡れの姿で唇は紫に染まり、海風による寒さにガタガタと震えている。 「――よかった、生きてる……」 小さく安堵のため息をつく。少女はハンカチを取り出すと顔の砂を払い落し、海水でベタベタになったショートヘアの水滴を拭ってやるが意識を取り戻す気配はない。 ぺちぺちと頬を叩いてみるが効果なし。――これは参ったぞ。 少女は女の子を抱えたまましばし考え込み、何かを思いついたのか慌てて端末を起動させ、とある知人へと通信を入れた。 「……はい」 電話口に出たのは寝起き丸出しの少年の声。 「金の字か。私だ。すまんが頼みがある」 「なんだよお嬢、頼みって……。ってまだ七時にもなってねーじゃねーか」 少女は小さくため息をつくと、 「もう朝だ。それに今日から新学期だぞ」 「あーわかったわかった。で、何の用だ、お嬢」 「……私のことをお嬢と呼ぶのもお前だけだぞ、まぁいい。今すぐ海岸まで迎えに来てくれないか。人が倒れておったのだ」 「何で俺が、そんな得にもならんことを……」 本心だろう、それは露骨に嫌そうな雰囲気で。しかし少女はめげずに続けた。 「そんなことを言わないでくれ。お前しか頼れる者がおらんのだ」 会話をしながら抱えた女の子を確認する。まだ意識が戻る気配はない。 「この人はどうしても助けたいのだ。……何故かはわからんが、私がここへ来たのも、金の字に頼み込むのも、何かそうしなきゃならない縁があるような気がしてならんのだ、だから……」 相手に見えもしないのに、少女は通話越しに深々と頭を下げ、 「頼む、この通りだ」 「ちっ、しょうがねーな。お嬢にゃ借りもあるからな……、ヘリで行く。十五分、いや十分で着くから待ってろ」 少年の言葉にほっと安堵の表情を浮かべる。 「恩に着るぞ、それでこそ私の知る金の字だ」 「だからいつも言ってるが俺の方が二つも年上なんだから金の字って言うな、お嬢!!」 「お前もお嬢などと呼ぶでない! 今日から私はおとなのれでぃになるのだからな!!」 「へ?」 「こっちの話だ。すまぬが、とにかく頼んだぞ」 通信が途切れる直前、少年が大声で使用人を呼ぶ声が聞こえた。 「寒い……、こ……ここは?」 少女たちの通話口の声で意識を取り戻したのか、うつろな目で自身を抱きかかえる少女を見上げ、呻くように呟いた。 「気づいたか。ここは双葉区の海岸だ。心配するな、私がついているからにはもう安心だ」 ニッと笑ってみせる。 「まずはその姿をどうにかせんとな。立てるか? ……えっと、名を何という?」 少女は先に立ち上がると、羽織っていたコートを女の子の肩にかけてやり、支えながらその手を引き立ち上がらせる。 少女よりも頭半分ほど高い背丈。そして少女と大差のない起伏の乏しい肢体。 その女の子は、少女の問いに首をかしげ一瞬眉をひそめ、 「――名前、アタシのなま……え?」 言って、そして青ざめた表情で自身の肩を抱きガタガタと震えだす。それが寒さによるものだけでないことは明らかだった。 「ちょっ、どうしたのだ!?」 「名前、何だろ……わからない、わからないよ。アタシって誰!?」 女の子はそのまま崩れ落ち、再び浜辺に膝をつきこうべを垂れる。 「……どういう、ことなのだ? まさか――記憶喪失?」 少女は困惑し、質問を続けた。。 「住所や連絡先は?」 「わからない……」 「年齢……は?」 「わから、ない……」 「それでは家族や友人なども……?」 女の子は少女の問いに、うなだれたまま首を左右に振るばかりだった。 ふと、女の子の胸元で光るものが視界に入る。 「それは……学生証か。ちょっと失礼するぞ」 パジャマのポケットに入っていた学生証を抜き取ると、コンソールを操作する。もちろん防水耐水加工のそれはずぶ濡れになっていても通常に起動した。 「……加賀杜紫穏、双葉学園高等部一年B組……。な、私より三つも年上なのか」 少女は信じられんといった表情でちらりと女の子を見る。 「……かがもり、しおん?」 女の子が少女を見上げ、首をかしげる。 「そう、加賀杜紫穏だ。それがお前の名……ん?」 再び学生証に目線を落とす。顔写真、名前、所属クラスまでは明記されているのに、それ以降の住所や連絡先といった情報が全て空欄になっている。 「これは、どういうことなのだ?」 本来あり得ない空欄がある学生証、そしてその持ち主は記憶喪失という。 「これは、参ったぞ……」 苦笑いを浮かべ、言葉がこぼれ出た。 「フーッ」 「どうしたのだ、白虎」 突如、白虎が海に向って唸りだした。それはまるで迫り来る何かを警戒するかのように。 少女は立ち上がると、波打つ海辺を見据える。――魂源力の気配……それも複数。何かが、こちらに向かって来ている。 向く方向には船は見当たらない。この時期、しかもこの時間にこんな場所でスキューバダイビングもありえないだろう。 人ではないとするなら、この魂源力の気配は、まさか――化物《ラルヴァ》によるものか。 少女は白虎を確認する。子猫サイズながら白虎はすでに臨戦態勢をとっている。頼もしい相棒だ。 続けて後ろの女の子に意識を向ける。砂浜に座り込んだまま、多少怯えながらも少女たちが向く方向に何があるのかと気にしているようだ。 ――少なくとも、この人は守ってやらねばな。 目線をそらさず、気配を探ること数秒。 突如、壮絶な波音と共に、海が割れた。 「白虎っ!!」 「がおーーー!!」 瞬時に魂源力を込め白虎を巨大化させる。その姿に驚いたのか後ろで女の子が「ひっ!」とひきつった悲鳴をあげた。 意識を研ぎ澄まし割れた海を凝視する。まだこちらから迂闊に攻撃はできない。 気配は複数。もし先手を打って一体でも仕留め損ねたら……? もしカウンターに出られたとき、この人を守りつつ確実に迎撃することができるだろうか。 考え、迎撃態勢をとり割れた海から覗く海底の先を見据え―― 現れたのは、四人の人間だった。 「……へ? また人間だと!?」 そこには和服の女性が一人、後ろに長身痩躯で青いサングラスをかけた男と、気を失っているのかぴくりとも動かない少年を肩に担いだ大柄な男が、海水のない海底を並んで歩いていた。 「あら?」 先頭を進んでいた女性が少女たちの存在に気づき歩みを速める。 そして、彼女たちが砂浜へと到着すると、割れていた海が音を立てて元の姿へと戻された。 「……異能者か。それもそこそこの使い手だな」 ラルヴァではないという安堵感から、警戒心を解く。四人組、全員学園生徒の異能者だろう、おそらくAliceに召集された討伐チームか。 背の高い三人(と担がれた少年一人)と対峙する小柄な少女たち。 和服姿の女性が、少女の後ろで様子をうかがっていた女の子の姿に気付いた。 「まぁ、こんなびしょびしょで……せめて衣類だけでも乾かしましょうか」 言うと、和服の女性が歩み寄り、海水で濡れた女の子のパジャマを撫で始めた。 同時に、布に含まれた水気が女性の手をつたい、音を立ててこぼれ出す。 「うわ、すごい……」 女性が撫でるごとに乾いていく服に驚きながら、そしてその直後に訪れた不快感に眉をひそめた。 「……でも、すごいザラザラベトベトする」 「海水なので塩分が残ってしまうのは致し方ありません。所詮私は水を操る程度の異能者なので……」 謙遜しながら足首まで撫で終わり、女の子のパジャマに浮く塩の粒子をを数回払う。 「まぁ風邪ひかないだけましだろう。こいつもさっき乾かしてもらったが、やっぱりザラザラベトベトするぜ」 大男が笑いながら、肩に担いだ少年を揺さぶって見せた。 「迎えが来たようだな」 ふと少女が上空を見上げる。けたたましいプロペラ音をたて一機のヘリコプターが少し離れた防波堤の向こう側へ降りていく。 程なくして、一人の少年が防波堤を越えこちらへ駆け寄ってきた。 「おー、金の字。すまぬな」 「結構遠いな、しかも急いで来てみりゃなんか人たくさんいるじゃねーかよ、お嬢」 「いや、この者たちは偶然今ここで出会っただけなのだがな」 少年はこの場にいた六人の姿を見るなり、 「へぇ。珍しいこともあるもんだ。ここにいる人間全員上昇表示かよ」 「上昇? 何のことですか?」 和服の女性が首をかしげ尋ねる。 「……なんでもねぇよ、こっちの話だ。そちらさん四人はAliceに召集されたラルヴァ討伐チームってところか」 「ほう。なかなか鋭いじゃないか」 少年を見下ろしながら、長身の男がサングラスを光らせた。 「まぁ俺たちゃ即席チームだがな。何をどう検出したらこんな全員初対面のメンツを組ませる編成になるんだか」 「でも、目標のラルヴァは倒せたしいいんじゃないですか」 和服の女性が微笑み、パンッと手を打った。 「それに皆さんとてもお強かったですよ」 その言葉に、大男が笑いながら返す。 「よく言うぜ。てっきりサポート役だと思ってたあんたが一番活躍してたじゃねぇか。俺なんて変身したってのにほとんど出番もないまま、気づいたらラルヴァが消えて無くなってたんだぜ」 「トドメをさしたのはは私ではないですよ。異能に関しては地の利やラルヴァとの相性もありますので。それに……」 大男に担がれた少年に目線を向けると 「彼が自主的に陽動作戦に出ていただけたおかげでとても動きやすかったですし」 にこにこと害のない笑顔で答えると、青いサングラスの男が後に続いた。 「確かに。ラルヴァの意識がその男に向き続けてくれたのはとても助かった」 「……こいつも、異能自体はとんでもねーもん持ってるんだがな。使い手が成長すればきっと学園内でもトップクラスの異能者になれる素質はあるんじゃねぇかな……おい、いい加減に起きろ」 大男が再び揺さぶってみせるが、担がれた少年は相変わらず微動だにしなかった。 「その肩の上の男は、大丈夫なのか?」 少女が不安げに尋ねる。 「なぁに。とんでもねぇスピードで海の壁に突っ込んで、たらふく海水飲んで伸びてるだけさ」 大男がニヤリとして見せた。 そんなやり取りを見ていた少年が、身をちじこませながら口を開いた。 「なぁ、もう行こうぜ。寒ぃよここ」 少女がふと振り返りながら、 「そうだな、すまなかった。ひとまず私とこの方を、私の家まで送ってもらえないか」 「わかった。これで貸しはチャラだからな」 言うなり、少年は踵を返しヘリへと向かった。何やら大声で使用人に指示を出している。 「では、私たちもこれで。Aliceへと報告もしなければなりませんし」 「大学進学して初日の早朝に駆り出されるなんてな。討伐ポイント割増じゃねーと割りにあわんぜ」 「それでは失礼する」 三者三様の言葉を残し、一人は結局気を失ったまま、四人は少女たちのもとを離れていった。 「よし、加賀杜よ。私たちも行こう」 少女は四人の後姿を眺めながら、長いこと彼女たちのやり取りをぼーっと眺め続けていた女の子に声をかける。 「あ。ありがとう……えっと」 「私は中等部一年の藤神門御鈴、こっちは白虎だ。礼など要らぬぞ。私は人として人のために行動したまでだ」 そっぽを向き、それでもまんざらでもない表情で。数歩足を進めくるりと振り向くと 「急ごう、始業式が始まってしまう。すぐに高等部の制服を用意させよう」 腰に手を当て仁王立ちで、ニッと笑って見せた。 この七人は後に醒徒会役員選挙で再び顔を合わせるのだが、それはまた別のお話。 了 トップに戻る 作品保管庫に戻る